和解への鍵 教会員
最近は東京の新大久保まで行かなくても、近いところで韓国の食べ物、文化に簡単に接することができます。逆に韓国の大型スーパーでは日本商品を買うために並ぶ人も多いし、道路には日本車レクサスがたくさん走っています。両国の人々がお互いの文化に簡単に触れ、近い隣国を理解し、直接往来しながら交流が活発な時代です。私が大学に通っていた1990年代には日本の商品を手に入れるため、日本に出張で行く人に頼まないと手に入らない時代であり、日本の音楽や文学が韓国内では流通が禁止されていた時代でした。
歴史的に複雑な日韓関係を未来志向的に変えるきっかけは、1998年の「金大中大統領」と「小渕恵三首相」の日韓パートナーシップと呼ばれる共同宣言により、お互いの存在を認め、相互に心を開いて理解し、未来志向的な両国関係を作っていこうという決断から現在の日韓関係になったと私は思います。
1998年以降、両国の文化・経済交流が活発になってから日本のテレビでは韓国ドラマ「冬のソナタ」が、韓国ではJPOPや映画「ラブレター」を見ることができるようになりました。1998年以前は近いが遠い国と思われていた両国が、お互いの壁が取り払われ、心を開き始めたことで、両国の国民の心には「和解」という温かい気持ちが芽生え始めたようです。
今は亡くなった家族の永島たけしさん(義理の祖父)に玲子さんと結婚前に挨拶に行った時、祖父が言ってくれた言葉を覚えています。
「日韓は歴史的に長い間、敵対してきた両国だがその国に住んでいた庶民は自分の意志とは関係なく、帝国主義者が仕掛けた戦争に出なければならず、家族と別れなければならず、死んでも自分の国に戻れなかった人も多い。このような悲しいことは両国の庶民が同じように感じていたことだ。もう二度とこのような悲しいことが繰り返されないためにはお互いの存在を認め合い、理解し合って生きてほしい。」と言っていただき、私はその言葉をいつも心に刻んで生きています。
私たちは時に人から傷つけられたり、力と感動を貰って生きていくものです。職場の人間関係、友人関係、親子の関係、夫婦関係でトラブルがあると私たちは苦しみます。これらのすべての関係において一番重要なことは相手の存在を認め、理解するために自分の心を先に開くことから「和解の種」が育つのではないだろうか?とても小さなことからの実践を通して、和解という「平和の海」を自由に航海する世界中の人々の人生の絵を描いてみませんか?
「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
マタイによる福音書6:14∸15
平和は身近なところから 教会員
8月「平和月間」を迎える度に、78年前の戦争で犠牲になった人々を思い、今も懲りずに戦争をしている国を覚え、日本の南西諸島の公道を戦車が走っている現実に驚愕する。世界から愚かな争いはなぜなくならないのか、改めて考えてみる。私たちの心の内には、相手を一方的な偏った見方で見る偏見があることに気づく。その考え方に固執すると、自分の正しさばかりに目が行き、相手を対等な存在として受け入れられなくなる。それが国と国になると戦争になってしまうのではないのか。戦争の背後には偏見、差別、不平等があるように思う。
東京バプテスト神学校の夏期公開講座の主題は「LGBTとジェンダーとキリスト教」だった。講師は平良愛香先生。LGBTの当事者でもある先生は自分の歩みを語ってくださり、これまで教会、キリスト教、ともに偏見をもって接してきた歴史があると話された。(今でもある)聖書解釈を批判的に受け止めずに、偏った解釈で読むと、それによって苦しむ人々がいること。人間は男と女だけに簡単に分けられないこと。生物学的分類だけでは測れない性自認の問題がある。圧倒的に異性愛者が多い社会にあってはLGBTの人たちは少数者である。少数者は偏見の目で見られやすい。私自身の中にも様々な偏見の思いがあることに気づかされる。私たちは皆、神様の作品であって、聖書は互いに愛し合いなさいと教えている。互いの存在を認め合うこと。個々人の好き嫌いとか偏見を超えて互いの理解を深めるように努力することを神様は望んでおられるように思う。
私たちの教会の2023年度の主題は、「一人ひとりを喜び、共に生きる教会」である。一人ひとりがその人らしく生きる、生かされる教会でありたい。そのためには互いの存在に向き合うこと。また、対話が重要である。9月から礼拝が一つになり、分級も始まる。8月の教育委員会で、分級のメンバーは当日のくじで決めることにした。誰とでもメンバーになり、み言葉を分かち合い、対話をしていくことを確認した。偏見や誤解のないところに愛が生まれる。愛のあるところに平和はあると信じる。世界が平和であるためには身近な自分から始めよう!
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」ヨハネの手紙一 4章7節
親子聖書日課 NO.1821 2023.8/20-26
親子聖書日課 NO.1820 2023.8/13-19
奏楽者研修会の恵み 教会員
7月30日(日)、名古屋にある瑞穂教会にて礼拝の奏楽と奏楽者研修のご奉仕にあたってきました。他の教会で奏楽をする機会はほとんどないので、とても貴重な経験になりました。瑞穂教会の奏楽者研修は以前にもオンラインで実施したことがありますが、なかなか音がクリアに聞こえず苦戦しました。今回の対面での実施は和やかな雰囲気でスムーズに教えることができ、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
讃美歌をどう弾いたらよいか分からない、緊張してうまく弾けない、テンポが会衆とあわない、そもそも奏楽者がいない・・・など、奏楽にまつわる悩みはよく耳にします。そんな時に教えてくれる人がいると心強いものです。私も今までいろんな方に教えてもらってきました。また、今の時代はYouTube でも様々な讃美歌アレンジを聞くことができるので、たまに聴いて参考にしています。
瑞穂教会の奏楽者たちからも、「自分のアレンジに限界がある」「緊張して速くなってしまう」「コードが分からない」など様々な声がありました。一人ひとりから「どうにかして上手になりたい!」という熱意があふれ出ており、私のほうが力をいただいて帰ってきました。讃美歌アレンジに100%の正解はありませんが、少しでも会衆が歌いやすく、その歌詞にあったアレンジができるようになることが奏楽者として大切だと思っていますので、まずそのことをお伝えし、奏楽のポイントと、個々の課題曲のレッスンを通してアレンジや弾き方のアドバイスをしてきました。音というのは弾く人の技術はもちろんのこと、その時の心の状態がよく表れます。適当に弾いているときは雑な音、丁寧に弾いている時は安定した音。つい素晴らしい奏楽とは、たくさんの装飾音をつけてカッコよく弾くことと勘違いしがちですが、本当に大事なことは、歌詞を噛みしめ、心を込めて主に賛美を献げる姿勢。そのように弾くときに、自分も聴いている人も主の平安を感じることができるのだと思います。
どんな初心者でも、讃美歌を弾くことは可能です。先日も、とある上尾教会メンバーから、「主われを愛す」を弾けるようになりたい。という話があり、ぜひやりましょう!といって盛り上がりました。奏楽はハードルが高くても、讃美歌を弾いてみたいということであれば、いつでもお声がけください。神様が与えてくださった「音楽」という素晴らしい世界をぜひ共に楽しみましょう。
「だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。」ヘブライ13:15
親子聖書日課 NO.1819 2023.8/6-12
主の夜明けを祈り続ける 教会員
去る6月29日。勤め先の高齢者デイサービスでの季節の歌にこの一週間はなんといっても「七夕さま」だと、その初回のはずだった。
30年ほど前「ラブストーリーは突然に」というドラマが大ヒットしたが、神様の「時」もなかなかどうして突然だ。その「時」を境に私は大きく体調を崩し、二週間の入院生活を余儀なくされた。当然「七夕さま」は歌えずじまい。
最初の三日間はベッドから起き上がることも出来ず、眠れぬ夜を過ごした。右に左に寝返りを打ち、ウトウトしては目が覚めて、時計を見るも10分程しか経っておらず、夜明けはまだまだ何時間も先であることにがっかりする…。機械音だけが響く病室で、ふと平和学習で沖縄を訪れた時の、病院としても使われた自然洞窟、糸数壕の暗闇を思い出した。ガイドさんに促され懐中電灯を消したわずか数分間、隣にいる人さえも見えない漆黒の闇に身体ごと吸い込まれそうで足がすくんだ。沖縄戦のさなかこのガマ(洞窟)でどんなことがあったのか、ゴツゴツの岩場を歩きながら話を聞いたのだった。
私は空調もベッドも治療も食事も整えられた安心安全な中で、それでもこんなに夜の闇に閉口している。しかし、あの負傷兵の方々は、血の匂いと呻めき声が充満していたガマで、ゴツゴツとした岩の上で、大怪我に充分な治療も叶わず、日中でも真っ暗な闇の中で、その絶望はいかばかりであっただろうか。
4時半くらいになると白々と夜が明けて病室が明るくなってくる。あぁ、やっと夜が終わった、朝が来た、とホッとする。
しかし、78年前あの絶望的な暗闇の中にいた人々の中で一体何人の方がその闇から解放されたのだろうか。
「ヤギと少年、洞窟の中へ」という絵本に出会った。帯の最初に「忘れものがたり」とある。舞台は沖縄、敗戦後三年経ったある日、少年が飼っているヤギに導かれるように真っ暗な洞窟の奥へ奥へと進んでいく。めくってもめくっても真っ黒に塗りつぶされたページが続く。歩み進んだ先で待っていた人と少年が交わす会話は静かな優しさに満ちていた。そして、その人が少年に託した願いは切なすぎるほど当たり前のことだった。なのに78年経った今も叶えられていないどころか踏みにじられている。
読み終わって「忘れものがたり」の一行が胸に突き刺さった。そこにあった命を忘れない。そして夜明けを祈り続ける。
「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」ヨハネ1:5(新改訳)
他者の命や生活を思いやる
「万軍の主はこう言われる。再び、エルサレムの広場には 年老いた男女が座り 長寿のゆえに、それぞれ手に杖を持つ。」ゼカリア書8:4(聖書協会共同訳)
今、上尾教会の礼拝は、このみ言葉が成就している。ゼカリアはエルサレムの広場には年老いた男女が杖を手にして座っている姿こそ、神が平和の礎とし、エルサレムの再興の希望だと語る。それは、50年以上に亙るバビロン捕囚から解放され、故国に帰還したユダヤ人たちが年老いても破壊されたエルサレムの再興を図ったからだ。
先週、久保内京さんから戦時下のなまなましい体験をお聞きした。昼夜を問わず空襲警報が鳴りひびき、焼夷弾が雨のごとく降り、火災によって辺り一面が焼き尽くされ、死体が散乱する中を逃げ迷った経験は、80年近く経っても、心の中に大きな傷となって残っておられた。私たちにとって、夏空を彩る花火も、京さんにとっては、焼夷弾のようで、花火を楽しむ気持ちにはなれないと言われた。「命も生活も奪う戦争は絶対にしてはならない」と言われた京さんの言葉を、しっかりと受け止めたい。
百歳を超えても医師を続けられた日野原重明さんがインタビューで、「⾦が全てという風潮。豊かになれば感性が鈍り感謝の気持ちを忘れてしまう。」と豊かになりすぎた日本人に懸念を示し、又、チャレンジ精神が薄れてしまった若者たちには、「アフリカや難⺠キャンプなどモノのない所で1年間生活してみたらどうだろう。安定ばかりでなく、いろんな体験が必要だ。」と語っていた。他者の命や生活を思いやり、そのために行動してこそ、自分の命や生活が豊かにされていくのだと言われた。
その指摘は、若者だけではない。老人はだんだんと視野が狭くなり、自分の命や生活のことだけに関心を払ってはいないか。日野原重明さんは「老いるタイプ」に三つの型があると言われた。一つは「抵抗型」まだ若いと言い張り、老いを受け入れようとしないタイプ。二つ目は「不平不満型」思うようにならないのを他人のせいにし文句ばかり言うタイプ。三番目が「自己嫌悪型」失敗を引きずり、その責任を自分自身のせいにし、老いるに従ってうつ的になるタイプ。これらのタイプは、周りの人に嫌われ、邪魔者、余計者とされ、居場所がなくなるだけである。日野原重明さんは「老いない」ために第四のタイプを勧める。それは「自分を肯定して受け入れ、他人を責めず、過去を悔やまず、日頃の人間関係に満足するしなやか型」であると言われた。そういう人になるために、「平和の礎」として、毎週の礼拝で座して祈りを捧げたい。