2月の礼拝のことであった。ルカによる福音書の宣教の中で、イエス様が72人の弟子を派遣されたとき、「敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。」(ルカによる福音書10:19)と語られた。その後の献金の感謝の祈りを奉仕された方が、「神様、私たちは敵に打ち勝つ権威を与えられました。」と祈られたので、ハッとして感動し衝撃を受けた。礼拝中後半に集中力に欠けていたわたしは、72人の弟子だけが授けられた特別な権威だと思っていた。わたくし事としては消化していなかったのだと感じ、しきりに反省した。
前節18節でイエス様が「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」とあるが、わたしは、サタンは天から落ちた堕落した天使で、地上の者たちを神から引き離す存在で、地上にいる感じがしていた。もちろんメッセージの中で、サタンが主の前でヨブについて論じていた姿もヨブ記1章に記されていると触れられた。わたしはそこが天でされていたと勝手に思い込んでいた。霊的存在は、天や地とかの空間などに限られないとの思いもある。要するに、私たちキリスト者を誘惑し、終日、主に訴える“サタンはどこにいるの?”と一気に疑問が噴出した。自分が解っていない!大変だ!!『そうだ!「神学」を学ばないといけない!』と初めて「神学」を学ぶと言うことに目が覚めたのである。聖書日課や様々に読んできた聖書の理解が、バラバラな理解に終わっていたことを感じた。
3月初めまで、東京バプテストの神学校の公開講座「詩編を味わう」を週一回、5か月間受けて来た。これまでも何度か誘われるままに漠然と受講してきた。以前から「神学」と聞いただけで敬遠し避けてきた。が、コロナ下でZoomによるオンライン授業で、パソコンの前に座っているだけで学べる。しかし、実際には秋山先生と、純子さんに手取り足取りパソコン技術を教えていただき、何とか終えた。
受講終了直前、感謝の祈りで受けた感動とショックで「神学」の必要性に目覚めたことで気づかされたことがある。「神学」で学べることとは、新約聖書と旧約聖書を繋ぐ紐(鍵)の発見と言えると思う。特にイエス様と弟子たちの時代は、巻物になっていた旧約聖書だけがあったので新約聖書を理解するためには、「神学」を学び、繋がりを発見しつつ御言葉を理解する助けとしていけたらと思う。上尾教会のお祈りと支援に感謝しています。