Month: 11月 2022

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世界バプテスト祈祷週間を迎えて

世界バプテスト祈祷週間は、アメリカ南部バプテストのロティ・ムーン宣教師を記念して始められた。彼女は1873年、33歳の時から70歳で召されるまで37年間、中国での福音宣教に励んだ。彼女は「中国の人々の救いのために祈ってほしい、中国の人々の暮らしのために献金してほしい、中国に更なる宣教師を送ってほしい。」との願いを南部バプテストの女性たちに伝え、それに応えるかたちで、「ロティ・ムーン・クリスマス献金」の活動がなされた。その信仰を受け継ぎ、1931年に、日本バプテスト女性連合の前身である婦人会同盟によって世界バプテスト祈祷週間が開始され、その後もバプテストの女性たちの中心的活動として継承されてきた。

現在、世界各地で下記の方々が宣教に励んでいる。6月に上尾教会で奉仕してくださった野口日宇満・佳奈インドネシア派遣宣教師は、神学校と教会に仕え、伝道者の育成に励んでいる。嶋田和幸・薫カンボジア派遣宣教師は、子ども伝道に尽くしているが、来年3月に8年間の働きを終える。国際ミッション・ボランティアの佐々木和之さんは、ルワンダの大学で平和学を教え、平和を担う若者を育て、恵さんは、和解と共生のためにツチ、フツの女性たちと「ウムチョ・ニャンザストア」を運営している。そこで生まれた素敵な製品をネットでも購入できる。17年間、タイ派遣宣教師であった日高嘉彦さんは、昨年「新・聖書ヘブライ語―タイ語辞書」を出版し、神学校で用いられている。今でも日本からオンラインでタイの神学生に旧約聖書を教えている。それぞれの国へ、必要している働き人を日本バプテスト連盟から派遣しているが、益々、働き人を送ってほしいとのリクエストが来ている。

「宣べ伝る人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝ることができよう。」ローマ10:14-15と語られるように、いつの時代も「宣べ伝る人」「遣わされる人」が必要である。そのために、「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」Ⅰコリント9:23と語ったパウロのように、福音のために私たちも自分にできることを喜んで行っていきたい。それは、日々の生活の中で、福音を宣べ伝え、世界宣教の働きを覚えて祈りと献金を捧げることである。それによって私たちも世界宣教につながることができる。女性連合は今年度、目標献金額を3,500万円とし、上尾教会の女性会は、15万円の献金目標額を掲げ、惣菜バザーも行い、祈りつつ捧げて行きたい。

親の祈り           ルイス・カンガス

神さま、もっとよい私にしてください。

子どもの言うことをよく聴いてやり 心の疑問に親切に答え

子どもをよく理解する私にしてください。

理由なく子どもの心を傷つけることのないようにお助けください。

子どもの失敗を笑ったり怒ったりせず

子どもの小さい間違いには目を閉じて 良いところを見させてください。

良いところを心からほめてやり 伸ばしてやることができますように。

大人の判断や習慣で 子どもをしばることのないように

子どもが自分で判断し 自分で正しく行動していけるように

導く知恵をお与えください。

感情的に叱るのではなく 正しく注意してやれますように。

道理にかなった希望はできるだけかなえてやり

彼らのためにならないことはやめさせることができますように。

どうか意地悪な気持ちを取り去ってください。

不平を言わないよう助けてください。

私がまちがったときには きちんとあやまる勇気を与えてください。

いつも穏やかな広い心をお与えください。

子どもと一緒に成長させてください。

子どもが心から私を尊敬し、慕うことができるよう

子どもの愛と信頼にふさわしい者としてください。
子どもも私も、神さまに生かされ、愛されていることを知り

他の人々の祝福となることができますように。

上記の「親の祈り」は、子育中の親にとってとても役に立つだろう。「もっとよい私にしてください」とは、子どもの願いを何でも聞き入れる親ではなくて、子どもの話をよく聴き、子どもを理解し、子どもの個性を大切にする親である。「私がまちがったときには きちんとあやまる勇気を与えてください」「子どもと一緒に成長させてください」という姿勢は大切である。子どもが親を尊敬できるようになるのは、親が自分の過ちを認めた時ではないか。そんな勇気をもって子どもと向き合えるよう、祈り求めたい。又、子どもの成長以上に、自分の成長を祈り求めたい。

 

 

主との楽しい出会い

旧統一教会の「二世信者」(「宗教二世」と呼ばれる)の存在が大きな社会問題として取り上げられている。それは、親の信仰によって信者の子どもたちの信仰や、進学・就職、恋愛・結婚などの自由を奪うことは、心身に苦痛を強いる人権侵害に他ならないからである。ここまでひどい人権侵害がないとしても、「信仰の継承」ということを考えさせられる。私たちクリスチャンにとっても、わが子に信仰をもってほしいと切に願うのではないか。主なる神を信じることが、自分を愛し、他者を愛して幸せな生涯を送ることができると、自らの信仰を通して感じているからである。

しかし、親がどんなに願っても自分の信仰をその子に引き継がせることはできない。「教会に行きなさい」「聖書を読みなさい」「お祈りしなさい」と命じることはできても、信仰にいたるか否かは、神の御手にあることである。親に反感を抱かせ、神を嫌いにさせることにおいて、信仰の強制ほど注意すべきものはない。

私たちバプテストは、生まれたばかりの子に、幼児洗礼を授けない。その子が自分の口で「主を信じます」と告白して、はじめてバプテスマを授けるのである。つまり、親の信仰を継承するということを認めていない。信仰はあくまで自分が主と出会って成立するものであって、誰かから受け継げるものではない。クリスチャン家庭に生まれても、両親の信仰とは別に、個人的に主に出会う経験によってもたらされる。親から子へ、知識(教理)は継承できても信仰は継承できない。信仰は知識によって至るものではなく、主との出会いによって至るものである。だから、親、又は教会は、子どものために、主との楽しい出会いの機会を沢山作ってあげることが大切である。キャンプ、バーベキュー、お泊り会、ピクニックなど、家族だけでは味わえない楽しい教会の交わりから、信仰に導かれる子どものなんと多いことか。

あるご夫婦は、お子さんが誕生した日から、毎夜お子さんのために祈り、お子さんが言葉を理解するようになるとその祈りはお子さんを加えて3人の祈りとなり、お子さんが親元を離れると再びご夫婦の祈りとなり、お子さんが30歳になる今も続けられているとのこと。親の語る一つ一つの言葉、一つ一つの行為が、幼い子に伝えられる神のメッセージとなり、子は親によって神を深く知り、自分をかくも深く愛してくれる神を、親と同じように信じるようになれたら、なんと幸いなことか。その日が来ることを信じて、忍耐強く祈り続ける、親であり、教会でありたい。

 

ただ今、工事中!

上尾教会は23年前に会堂を建築したが、建ったのは会堂であって、教会はまだ完成されていない。教会が完成するのは、主が再び来られる時で、絶えず工事中である。「ただ今、工事中。皆様にはご迷惑をおかけしております。ご理解とご協力をよろしくお願いします。」との工事現場の看板のように、周りの方にご理解とご協力を求めながら、「建て上げている最中」である。

教会を建て上げていくために、どんな姿勢が大切か、エルサレム城壁の再建工事から学ぶことができる。工事が進展するに従い、敵の妨害工事も具体化してきたことがネヘミヤ記に記されている。サマリヤ人、アンモン人、ペリシテ人たちは共同してエルサレムに攻め込む構えを見せた。それに対してネヘミヤたちはどうしたか。

「わたしたちが気づき、神がその計略を破られたことを敵が知ったので、わたしたちは皆、城壁に戻り、それぞれ自分の作業に就いた。その日からわたしの部下たちは、半分が作業に従事し、他の半分が槍と盾、弓と鎧を身に着け、将校たちがユダの家全体の背後に控えた。城壁を築く者、もっこを担いで運ぶ者は、一方の手で作業をし、もう一方の手には投げ槍を取った。建築作業をする者は、各自腰に剣を帯びて作業した。わたしはそばに角笛を吹く者をつけた。」ネヘミヤ4:9-12。ネヘミヤは人員の半数を工事に、残り半数を防備に回してとは、困難があっても工事を止めず、祈りながら工事を進めたのである。

教会も何かをしようとする時、そこには妨害や困難が生じてくるものだ。困難に怖気づき、後退させる者も出て来るだろう。だからこそ、人の力に頼ってはならない。「仕事が多く、範囲は広い。わたしたちは互いに遠く離れて城壁の上に散らばっている。 角笛の音を聞いたら、わたしたちのもとに集まれ。わたしたちの神はわたしたちのために戦ってくださる。」ネヘミヤ4:13-14神が私たちのために戦ってくださるのである。私たちはつい人数や財政を計算して、とてもそんな計画は無理だと思いやすい。しかし、教会の頭は主であって、神の計り知れない計画が成し遂げられるのである。

ネヘミヤは、城壁再建は神の御心であり、神がそれを成し遂げてくださると確信を持っていたので、困難を極めたが、神に祈る中で何をすべきかを示され、実行した。私たちも少子高齢化が最も進んでいると言われる教会を建て上げていくのは、困難なこともあるが、共におられる神が私たちのために戦ってくださることに信頼を寄せて、「ただ今、工事中!」との看板を掲げて、主の業に励んでいきたい。