Day: 2022年8月7日

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2022年の平和月間     教会員

例年8月は平和月間として守り、かつては実際に戦争の時代を体験された方々からお話を伺う機会もあった。8月は広島長崎への原子爆弾投下があり、日本の終戦(敗戦)があった月で、実際にその時を体験された世代の方々には感慨深いものがあるに違いないと思う。

今年で1945年から77年目の夏となった。私のような“もうすぐ高齢者”世代ですら実際に戦争の時を経験せず、映像、本、伝承をもってしか知らない。戦後の平和な国に生まれた世代として、「平和でない」世界というのは何か他人事に近いような感覚が自分にも今まであったのではないかと思う。

ウクライナへのロシアの侵略が起きてもう半年となる。現代のようにデジタル技術が進展し、個人が目の前で起きている事実をそのまま瞬時に世界に伝えられる時代では、技術は争いをも抑止できるのでは?との期待も持っていたが、独裁者の愚かな暴力の下には、それも幻想であったことを思い知らされた。

何のために争うのか?自国の領土のため?自国の経済が脅かされるから?自分の力を誇るため?自らが食べられない、生きていけないから?…おそらくそこには、本当に最低限必要なもののためでは無く、「共に生きる」ことを忘れた人間が、自らの中に存在する「欲望」「悪」のために争うのではないか?と思う。

脱線するが、昨年より畑を借り有機農業の真似を趣味で始めたが、時として目にも見えない程の小さな種から作物が実り、人間の食物となるとは、何という神の恵みであり、また平和の礎なのだと感じることもあり、感謝して頂いている。

私たちに与えられているものを主に感謝し、主に依り頼むとき、そこから自からの内なる平和、また他者、他国との間の平和が与えられるのではないだろうか?

先の戦争の犠牲により与えられた、この国が守り続けている平和憲法、争いをすべて避け、武力を放棄し、平和を求め続ける…ということは簡単ではない。単なる理想、絵空事、という声も特に今年になってから社会で強まったかもしれない。しかし、歴史において強大であった帝国の殆どが、歴史の下で滅びたことを思えば、己が力、己が知恵のみを頼みとすることの浅はかさが想像でき、聖書の語る「主にある平和」の大切さが理解して貰えるのではと思う。

福音書でイエス様は「あなたがたに平和があるように」と何度か語られ、パウロも書簡の中で「(イエスキリストからの)恵みと平和があるように」と語っている。キリストにある平和を常に受けて日々を歩みたいと思う。