Month: 9月 2021

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天に一人を増しぬ  セラ・ゲラルデナ・ストック作 植村正久訳

天に一人をを増しぬ     セラ・ゲラルデナ・ストック作 植村正久訳

 

家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり

愛する顔 いつもの席に見えぬぞ悲しき

さはれ 天に一人を増しぬ 清められ 救はれ 全うせられしもの一人を

家には一人を減じたり 帰るを迎ふる声一つ見えずなりぬ

行くを送る言葉 一つ消え失せぬ

別るることの絶えてなき浜辺に 一つの霊魂は上陸せり 天に一人を増しぬ

家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れにたえず

内に入れば空きし席を見るも涙なり

さはれ はるか彼方に 我らの行くを待ちつつ 天に一人を増しぬ

家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽(おお)いて

歩みもしどろに 目も暗し

さはれ みくらよりの日の輝き出でぬ 天に一人を増しぬ

げに天に一人を増しぬ 土の型にねじこまれて

キリストを見るの目暗く 愛の冷ややかなること

いかで我らの家なるべき 顔を合はせて吾が君を見まつらん

かしここそ家なれ また天なれ

地には一人を減じたり その苦痛 悲哀 労働を分つべき一人を減じたり

旅人の日ごとの十字架をになふべき一人を減じたり

さはれ あがなわれし霊の冠をいただくべきもの一人を 天の家に増しぬ

天に一人を増しぬ 曇りし日もこの一念に輝かん

感謝 讃美の題目 更に加はり

吾らの霊魂を天の故郷にひきかかぐるくさりの環 さらに一つの環を加へられしなり

家に一人を増しぬ 分るることのたえてなき家に

一人も失はるることなかるべき家に

主イエスよ 天の家庭に君と共に坐すべき席を 我らすべてにも与えたまえ

 

新しい生活様式~クリスチャンバージョン~      教会員

数か月前から、私たち家族は「新しい生活様式」を取り入れることにしました。とはいっても、密を避けてマスク、消毒、ということではありません。神様のみ言葉に触れるための新しい生活様式です。朝は15分ほど「デイリーブレッド」というサイトを用いて夫婦でディボーション。夜は家族で(パパの帰りが遅いときはママと娘だけで)「親子聖書日課」をしています。

私も夫もフルタイムで働いており、特に夫は残業が多く、決して時間的にゆとりがある家庭ではありません。よって、家族で聖書を読む、ましてや1分1秒を争う朝に夫婦で聖書を読む時間なんて存在するはずがないと思っていました。しかし、家庭内外の様々な試練を通して、神様は私たちをみ言葉を中心とした生活をするように導いてくださいました。主のなさる業は本当に時にかなって美しいと思います。

あれだけ「時間がない」と思っていた日々でしたが、いざ聖書を読むことから一日をスタートすると、むしろ心に余裕が生まれ、ゆったりとした気持ちで朝を過ごすことができるようになりました。夫婦の会話も増え、信頼関係がより強いものになったと実感しています。いつも3日坊主になってしまい、なかなか続かない私ですが、ここは「真面目にコツコツと」という賜物を神様から与えられた夫がいるお陰で、一日も欠かすことなく続いています。子供たちもだいぶスラスラ聖書を読めるようになり、お祈りも自分の言葉でしっかりとできるようになりました。教会学校で学んだこともよく覚えていて、聖書を読む前に「親子聖書日課」の答えがわかってしまう時もあります。神様が成長させてくださっていることに感謝です。

今、私たちの生きる世の中は、収束の兆しが見えないウイルスに翻弄され、混沌としています。また、オリンピック・パラリンピックという晴れやかな舞台の裏で、選手への過剰な誹謗中傷や、差別が問題となりました。聖書が語る「平和を実現する人々は、幸いである」マタイ5:9という意味を改めて考えさせられています。人間であれば、嫉妬や憎しみを抱くことはごく自然なことです。しかし、その悪の感情に支配されて終わる人生はあまりに虚しいです。この呪縛から解放されるために、日々み言葉から知恵と力をいただくことが必要です。神様が私たちを愛してくださったように、隣人を愛することができますように。弱く、すぐ不安になる私をも神様が平和の道具として用いてくださいますように。今日も祈って、一日を始めたいと思います。

 語りべ           教会員

イエス・キリストは、無罪で十字架にかけられ刑死した。人の罪を贖うためであった。茨の冠を被らされ、鞭で打たれた。カルバリの丘まで十字架を背負い、何度も転びながらたどり着く。着衣をはがされ、両手両足を釘で打たれ、十字架につけられた。しかし、イエスは、ののしる彼らに無抵抗で、おまけに「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と、憎むべき相手に執り成しの祈りをした。私たちの罪を背負い、贖うために自ら犠牲となられた。

神様は、人を神様の形に似せて創られたが、私たちの内面は、弱く、同じ過ちを繰り返す。経済問題、民族・宗教・文化の違いなどから戦争、紛争や内乱が起こる。イエスの十字架は、私たちに多くのことを示している。

当時中学2年生であった伯父に海軍の赤紙がきた。体格がよかった伯父は難なく体力テストに合格をしていた。伯父の母親であった私の祖母は、その赤紙を持って血相を変え、学校の担任に相談に走った。海軍は、志願制で自分の意志を示すことができた。担任は、祖母に「弾になるだけがお国のためになる訳ではない。武器を作るために勉強をしたいと答えなさい。」とアドバイスをした。伯父は、ちょうどエリートの軍の士官の面接に当たり、覚悟を決めてその旨を告げて、戦争に行かずに済んだ。その後は、大阪大空襲に遭い、焼け野が原になった堺を逃げ惑い、奇跡的に一家の命は守られたが、友人、知人をたくさん失った。伯父は、現在90歳である。結局、武器の製造のための人生はなかった。しかし、当時の戦争の様子、その時分、新聞に書かれていたこと、実際の世界や日本の事情などを私たちに伝えてくれる。ゼロ戦や、戦艦、電車の模型を作ってリビングに飾っている。最近はオスプレイも手掛けた。もしや、その気になったら、武器の製造もできたのかもしれない。伯父は、模型を見せながら、悲惨な当時の話をする。

伯父は、戦争を経験し、その守られた命を用いて、次の代に戦争の悲惨さを語り継ぐ。私は、それを聞き、平和を求め、祈る。神様は、様々なお役目を一人ひとりにお与えになる。私も、伯父がくれた、ボトルシップの戦艦を見ながら、子どもや孫に戦争の悲惨さを伝えて行こうと思う。

イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」ルカによる福音書23:34

シャローム あなたに平和がありますように   教会員

コロナウイルスは変化しながらこの世界で増殖して人間を苦しめています。酸素は足りず、入院が必要でもベッドがなく、救える命を救えなかった。医療者としては辛く、恐ろしくてたまらない状況です。地球環境は変化し、自然災害が驚くほど多くなりました。戦争がなくても平和ではありません。私個人のことを言えば、なんだか職場がギスギスしていたり、家族ともギスギスしたり、先日は仕事でひどいミスをしてスタッフに迷惑をかけて落ち込み、立ち直るのにしばらくかかりました。

イエス様は「わたしは、平和(シャローム)をあなたがたに残し、わたしの平和(シャローム)を与える。」ヨハネ14:27 と言われました。ヘブル語の「シャローム」が意味することはちょっと複雑でステキなことです。何も欠けたところがなく完全な状態を指して平和(シャローム)というのだそうです。健康で、人間関係においても、能力も経済的にも満たされた完全な状態です。そのシャロームを残していったんだよ、と言われてもにわかには信じ難いですよね。この世に完全なものなどないというのは真実です。ではなぜイエス様はシャロームを与えると言ったのでしょうか。イエス様はこの後、「わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。」と言われました。

私が仕事で大変なミスをした時、報告を聞いた上司が「ミスをしたのが足立さんでよかった」と思ったそうです。他の人だったらメンタルがやられて仕事に来られなくなったかも知れない、でも足立さんならちゃんと反省した上できっと大丈夫だと思った、というのです。当の私は精神的な落ち込みのため憔悴しひどい状態でした(同僚談)。その間、神様は特別に支えてくださいました。「わたし(神)の力は弱いところに完全にあらわれる」Ⅱコリント12:9(口語訳)というのは本当です。私は頑張れなかったのに、主が私のことを気にかけ、事を運んでくださいました。それを感じた時の平安といったら!上司の言う通り、「私、大丈夫だ」と思いました。シャロームは与えられていました。

嵐の波にもまれる船の上で眠っていたイエス様のように、揺り動かされず、ただ神に信頼することで希望を持ち、神が良いお方でよいものをくださると1ミリも疑わず、悲しみや困難なことがあっても、それでも神は良いお方と言いたい。平穏な生活は容易に壊される。でも神の恵みはそれを遥かに超えていることを、私たちが信じることができるようにと祈ります。