Day: 2021年7月11日

Home / 2021 / 7月 / 11

「神の国運動」の担い手になろう!

洗礼者ヨハネの宣教の第一声も、主イエスの宣教の第一声も、「悔い改めよ。天の国は近づいた」マタイ3:2、4:17であった。イエスの宣教活動は、洗礼者ヨハネの行っ

た「神の国運動」を継続したともいえる。しかし、ヨハネの行っていた「神の国運動」をそのまま継続したのではなく、イエス独自の使命に基づく「神の国運動」を展開した。それは、ヨハネが行った「神の国運動」は、「裁き」が中心であったに対して、イエスの行った「神の国運動」は、「赦し」が中心であったと考えられる。

ヨハネは「悔い改めにふさわしい実を結べ。」マタイ3:8「良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」3:10と言って、義人として歩むことのできる人々にとっては救いとなり得るが、そのように生きることのできない社会の底辺、最下層の人々にとっては、ヨハネの言葉は恐ろしい「裁き」の言葉に聞こえたのではないか。

イエスは、そのことに気付く。そして、どのような人も神に愛されている者として生きていけるということを示すために、社会の底辺、最下層の一人一人の心と体をいやしていくという活動を展開された。社会から差別され、排除された人々は、ヨハネが荒野に留まっている限り、ヨハネのもとに行くことができなかったのに対して、イエスはむしろ、これらの人々のもとに自ら出て行かれた。

「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。」マタイ9:35。イエスの宣教は、病人をいやし、悪霊を追い出すという力ある業をもって、神の国の福音が、生の全領域に及ぶことを示された。ルカ9-10章を見ると、12弟子に、更に、72人の弟子に、福音を宣べ伝え、悪霊を追い出し、病気をいやすための権能を授けている。その務めは、今日の私たちにも託されている。代々の教会は、病院や福祉施設を作って、宣教の働きを担ってきた。

「神の国運動」と言えば、賀川豊彦を思い出す。賀川豊彦は若き神学生時代、神戸のスラムに身を投じて貧しい人々の救済に専念し、壮年時代には、労働組合運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動、協同組合共済運動に献身し、生涯を通じて「神の国運動」に力を尽くした。そこには「群衆が飼い主のいない羊のよ

うに弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」マタイ9:36との主のまなざしが彼にも与えられたからではないか。神の国の福音に与った私たちも、「神の国運動」の担い手になりたい。「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」ルカ17:21