Month: 3月 2021

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コロナ禍に看護師として思うこと     教会員

コロナウイルス感染症が私達の生活を一変させたこの一年、感染症の患者さんと直接関わることはない「緩和ケア病棟」に勤務している私が感じる一番の変化は、面会に制限ができたということです。一般の病棟では一切の面会が禁止される中、面会をどうするかは皆悩みました。本来、24時間いつでも、どれだけでも面会が可能で、ボランティアさんが来てお茶を淹れてくれるティーサービスの時間があったりして、もう間もなく死を迎えるであろう患者さんにとって少なからず慰めになっていたはずですが、それができなくなりました。
許されているのは決められた2人の家族の短時間の面会のみ。その他の親戚や友人は面会ができません。患者さんは人生最後の期間、ひとりで食事をしています。電話は可能ですが、体力が落ちて会話が困難になった方はベッドに横たわっているのが精一杯です。寂しくてただ誰かに傍にいてほしいものです。親しい人が、ただ黙って同じ空間にいてくれたらそれで随分安心できるのです。病室に来て雑誌を読んでいても、テレビを観ていてもかまわないのです。面会に来た人同士が普段通りの会話をするのを、もうはっきりしない意識の中で聞いていられたら、それで落ち着くものなのです。
ただ傍に居るということは、死にゆく人に対して私達ができる一番のことです。それはコロナ感染症の人も、がんの終末期の人も、老いて衰えていく人も同じで、そして私達は明日生きている保証などない人間ですから、皆、終末期です。その大切な「傍にいる」ということをコロナは奪っています。「なぜですか?」と神様に問いかけることはもちろん許されていますが、たぶん天の御国まで持ち越すことになるでしょう。
それよりも「なにをしたらいいですか?」と問いかけようと思います。この問いにはいつも誠実に神様は答えてくださいました。“冷たい水が飲みたい”と言われた方にたっぷりの氷を入れようと思い立ち、“あぁおいしい!”という言葉を聞けたとき、“さびしいよ、もう死にたい”と言われた方の部屋にもう5分とどまって話を聴こうと示され、“忙しいのにありがとう”と言われたとき、神様と共に働けた、と嬉しくなります。これでいい、この小さな業を積み重ねていこうと思えるのです。
「平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。」ヘブライ13:20-21

大谷レニー先生と出会って       秋山 純子

32年前上尾教会に来た時、同じ賛美歌を何度も賛美している印象を持ち、東京バプテスト神学校の教会音楽科で学んでみたいと願書を出しました。以前在籍していたことが加味され聴講の道が開かれました。後で知りましたが、机を並べていた皆さんは難しい実技試験をパスされ入学していました。教室は大井教会で、土曜日一日を使い、礼拝学・讃美歌学・指揮法・聖歌隊・ハンドベルを受講しました。

すべての講義を大谷レニー先生がなさっていました。レニー先生との出会いです。聖歌隊練習レポートは毎週提出で、聖歌隊が無いのでと提出したら、「聖歌隊を作れ」とC判定で返されました。厳しいそんな!でも厳しさの中に威厳と温かさのにじみでる方でした。丁度『新生讃美歌2003』の編纂の時で多くのエピソードをお聞きできたのは、私の大きな財産になっています。「バプテストの讃美歌集1冊で礼拝が出来るように」といつも言われ、「次に讃美歌集が編纂される時は、どんな素晴らしい曲でも歌われなかったら選ばれないのよ」と長い経験談を語られました。

子ども達もそれぞれお世話になりましたが、献一夫妻には、「理不尽な事でも頼まれたら一度はやってみて、私にはできます、できませんと断るようにしてきた」とアドバイスしてくださったと聞きました。スチュワードシップの姿と思います。

レニー先生から、壇上で何が起きてもパニックになって指揮を止めてはならないと教えられましたが、新生讃美歌629番を壇上で独唱された時すべて主にささげて、すべて主にゆだねて、すべてカルバリの主に、この命ささげようと賛美する先生の目に大粒の涙を見ました。これが先生の原点、献身と心に響いてきました。先生の蒔かれた礼拝音楽や賛美の種は世界中で花咲いています。微力ですが持ち帰った種は上尾教会でも蒔かれ、花咲いていると思っています。

コロナ危機のせいか、最近自分の事ばかり考えている自分に出会います。しかし人は神を思い、他者を思う生き方の中に充足を与えられるのだと感じます。小さい事ですが、近所の方に出会ったら、「お変わりありませんか?」と声をかけるようにしています。長話になりそうな時は、「1メートルあけましょうか」と笑い合います。

「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい。」ルカ10:27

 

スチュワード(管理者)シップの重さ    教会員

世界的なコロナ感染禍で、感染が猛威を振るっていたイタリアで、治療にあたっていた多くの医師たちが感染して亡くなった(222名)。それを知った時、大変衝撃を受けた。それにもまして、医療従事者の不足を補うため、国のほうで、退職した医師に300人のボランティアを募集したところ、25倍の8000人の応募があったという。「高齢の重症リスク」をものともせずにである。医師たちの死に動かされ、国民が徐々に闘う勇気が出たイタリアは、ボランティアが盛んな国だそうだ。

コロナ禍の中で、私たちの教会も若い人たちにより感染予防対策をしながら、礼拝、祈祷会を守り、その他できる範囲内の活動を続けることがゆるされ、感謝である。昨年七月から、二回の礼拝の合間を使って始まった女性会では、御言葉中心にコロナ禍での感想を証し合い、分かち合ってきた。不思議に、コロナ禍の苦難や、暗闇や、先の見えない状況下にも関わらず、皆さんの言葉には『希望』が感じられ、また、「お花のお当番ができ感謝です」と講壇のお花を用意する感謝の声もあった。

医療現場で、保健所と患者の対応で、「あっちを立てればこっちが立たず、何をしたら良いか分からない。患者へのしわ寄せと、保健所も入れてあげられないことのストレスが医療関係者の疲弊の一番多い原因である。神様に使ってもらいたい」という声もあり、一人一人が主につながり、御言葉によって励まされ、キリストの体としての霊的闘いの日々を送っていると分かり、感謝でした。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。~シオンで主は布告された。祝福と、とこしえの命を。」詩編133:1,3

スチュワード(管理者)シップ(=主の財産を預かって管理する)を考える時、僕として預かった賜物を生かして主に仕えて奉仕することは、恵みであり喜びである。“「僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」ピリピ2:7-8。イエスさまだけが完全なるスチュワード”『神の同労者』16-18頁に倣いたい。

コロナ禍の中でスチュワードシップは重くのしかかり、弱さから逃げられない。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」Ⅱコリント12:9。弱さこそ、最大の賜物』であると分かった。残りの人生、弱さを誇る!

奉 仕            教会員 

自分が経営していた学習教室に、7名のスタッフが与えられた。其々のスタッフが各パートを補ってくれて、様々なところで助けてもらった。仕事場では、絶えず条件が変わり、それに応じて自分たちも動きを変えざるを得ない。私は、「個別で子どもの能力を引き上げる」ことを第一の目標にし、また、念頭には大きな理念を持っていた。スタッフとは、「何を目標に業務を行うか」を常に共有していたつもりである。それにより、自ずからするべき事が決定する。絶えず「言葉」が大切だ。子どもたちにも、保護者にも絶えず学習の意味と目標を「言葉」にすることで一つに繋いだ。

教会では、まさに皆が神様と繋がる。教会員は、教会組織の一部になって、適したパートを担う。また、その土台になっているのが、神のみ言葉「聖書」である。このコロナ禍、総務としては、特に念入りに掃除を行うことを奉仕者にお願いした。今まで当番制にしていたが、密を防ぐため、礼拝を二部に分けたこともあり、奉仕者が限られたが、動ける有志が自然と備えられた。負担はあったが、限られた時間を工夫し、自主的に進んで掃除をしてくださる。

奉仕者は、「礼拝と祈祷会は、コロナ禍だからこそ必要である」という想いを一つにして心から献身する。そのために、奏楽、送迎、教育の奉仕や各会等いくつかを兼任しながら皆が動いている。子どもたちのOHPのご奉仕は、日に日に成長をしていく。礼拝をライブで届けたり、Zoomで会議をしたり、ITの知識も必要である。先生は、道行く人の心を少しでも和ませるために、教会の花壇の手入れをされている。絶えず草を引いてくださる兄弟は、暑い時も寒い時も欠かさず教会に足を運んでくださる。窓に貼られたみ言葉にも、姉妹の込められた想いがある。そして、教会員は、他者のため、全世界のために祈る。礼拝では、会衆も応答することで、教会は一つになる。

今、コロナという試練を与えられ、多くのことに気づく。秋山牧師のメッセージや、讃美歌に込められた意味の深さをしみじみと味わい、聖書のみ言葉が乾いた心を潤してくれる。このみ言葉を一人でも多くの人に届けるために、奉仕を通して生かされることの意味を想う。

『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。』ヨハネによる福音書15:5