Month: 11月 2020

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世界宣教を一緒に担う

今年も世界宣教の働きを覚える「世界バプテスト祈祷週間」を迎えた。この一週間は、私たちの目が世界に広げられる時でもある。現在、インドネシア派遣宣教師として野口日宇満・佳奈夫妻、カンボジア派遣宣教師として嶋田和幸・薫夫妻、シンガポール国際日本語教会に伊藤世里江牧師、アフリカのルワンダに国際ミッションボランティアとして佐々木和之・恵夫妻が働いている。またその働きを直接的に支えるスタッフの方々がおられる。そして、それらの働きを支えるために、私たちの祈りと献金が求められている。

時々、国内伝道も大変なのに、国外伝道のために多額の献金を使用するのはいかがなものか、と言われる方がいる。しかし、主は「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」マルコ16:15と命じられ、この主の言葉をまともに聴いた弟子たちがいたからこそ、また宣教師たちがいたからこそ、福音が私たちの所にまで伝えられ、私たちは主の救いに与ることができた。「宣べ伝る人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝ることができよう。」ローマ10:14-15と語られるように、いつの時代も「宣べ伝る人」「遣わされる人」が必要なのである。

「宣べ伝る人」「遣わされる人」とは、個人の業ではない。登山家の登頂を支えるために、環境を整備するシェルパのサポートが必要であるように、宣教師を支えるためにも、後方支援が必要である。宣教師が安心して現地で働けるように、またお子さんたちが教育を十分に受けられるように、私たちは祈りをもって支えていきたい。

そのために、「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」1コリント9:23と語ったパウロのように、福音のために私たちも自分にできることを喜んで行っていきたい。私たちも日々の生活の中で、福音を宣べ伝え、また世界宣教の働きを覚えることである。ルワンダの佐々木和之・恵夫妻の働きなどは支える会に加入することによって、ニュースレターを通して、その働きを詳しく知ることができる。知る・祈る・共有する、それによって私たちも世界宣教につながることができるのである。

クリスチャンになりませんか?

クリスチャンは立派な生き方をする人だと、錯覚している人が意外と多い。クリスチャンになると悪いことはできない、お酒もたばこも娯楽も止めなければならない、ないないづくしの禁欲的生活者のようなイメージを持つ。けれども、クリスチャンになるとは、聖人になることでも、禁欲的生活をすることでもない。むしろ自分の罪深さに気づき、悔い改めて生きることである。私たちの罪を赦すために、主がどれほど十字架で苦しまれたか、その苦しみに気づくことである。そして自分に対する主の愛がわかると、その愛に応えたいと思うようになる。つまりクリスチャンになるとは、主が愛されたように、主を愛し、人を愛する者へと変えられることである。

クリスチャンなろうとする時、果たして自分は信仰をもって歩み続けることができるだろうかと懸念する人もいるだろう。自らの弱さ、周りの人の無理解、クリスチャンとしてのまだ経験したことのない歩みを考えると、不安を抱くのは当然である。しかし、聖書は「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」使徒.言行録2:38と語る。ここには2つの約束がある。罪を悔い改めて、主が私の罪のために十字架に架かられたと信じてバプテスマを受けるならば、罪の赦しと賜物としての聖霊を受けることができる。罪の赦しは、完全である。神は主の十字架のゆえに、もはや私たちの罪を責めることはなさらない。全ての罪は赦されている。そして、聖霊が与えられる。この聖霊こそが、私たちがクリスチャンとして歩むための支えである。

聖霊は、私たちを助け、導いてくださる。“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈べきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」ロ-マ8:26。クリスチャンとはいかなる人間かと問われたならば、「聖霊を内に宿している人」と言うことができる。そしてその全ての助けはどこに向かっているかと言えば、平和の君である主イエスに似たものに造り変えられるためである。クリスチャン(Christ-ian)とは、「キリストに従う人」という意味である。ですから「私はまだ教会に行って日も浅いし、聖書を十分に理解できないし、御言葉を行うことができないから、クリスチャンにはなれない。」とためらっていてはならない。罪を赦して頂きたいと願うなら、主を信じて、クリスチャンになることである。「聖霊の執り成し」の下でこそ、信仰生活は全うできるのである。

子供の心を大切にする

本日、神様に子供たちを祝福していただく「子ども祝福式」を迎えた。子供たちが神を畏れ、隣人を愛し、謙遜で思いやりのある人として成長していくように、祈りをもって育てていきたい。それは、親の務めであると共に、教会の務めでもある。

子供の信仰を育てることは、とても難しい。親が信仰を持っていれば、子供も自動的に信仰を持つわけではない。幼い時は教会に来ていても、青年期になると教会から離れていく人が多いからである。そこには、自覚的な信仰が育っていないからである。子供が、自分の意志で神に向き合って、自分自身で神を信じる信仰を持って、神に祈り、神に頼っていけるように、共に育つことである。教育は「共育」である。

「三つ子の魂百まで」で、幼い頃から御言葉を心に植え付けていくことが大切であるが、親自身が信仰に生きている姿を見せることである。そうすることによって、子供たちは、「生きて働く信仰」に触れることができる。人はいつも触れているものに影響を受け、似ていくと言われるが、家庭や教会の中で、親が一生懸命主に仕えている姿を見て、子供は何物にも代えがたい「人生の宝」を主に見出していくだろう。

私は子供たちから、「欠点だらけの親父だけど、福音のために生きている姿はよく分かる。」と言われたことがある。自分の親が、又、大人たちが、「神への信仰」をもって一生懸命生きている姿を見た時、子供たちは理屈抜きで、「ああ、神様って本当におられるんだ」と知り、「神様は、心から頼りにできる方なんだ」と悟っていくのではないか。そして、やがて自分自身の信仰を働かせるようになり、自分のためにも、隣人のためにも、神のためにも、とても充実した生き方をしていく人になっていくだろう。

上尾教会は、子供たちへの信仰の継承を願って、「子供と共なる礼拝」「親子聖書日課」に30年以上取り組んできた。これに喜んで参加していけるように、子供たちを励ましていきたい。それは「頑張れ!」と言って励ますことではなく、主が「子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」マルコ10:16ように、「主の祝福がどんな時にもあるから、大丈夫!」と、主に委ねて生きる大切さを、身を持って示すことである。

子ども祝福式は、単なる子供の幸いを祈る式ではない。むしろ大人が子供から学ぶ時でもある。子供に注がれた主の祝福とそれに与る子供の心を大切にすることを学びたい。そして、主の祝福が日々の生活に及んでいくことを、共に経験していきたい。

つながり合う命 支え合う命

皆さんは、コロナの感染を防ぐために、新しい生活様式が身についてきたのではないか。しかしこの生活様式が、障がい者からは戸惑いの声が上がっていることをご存知であろうか。ソーシャルディスタンス(社会的距離)の確保やマスクの着用などで、障がいのある方は、不便や不自由を強いられている。視覚障がい者は、人の手を借りて誘導してもらったり、物の場所を確認したり、日常的に人や物に触れる。手で触るだけでなく、体全体の感覚を動員して体感する。顔も周囲の状況をキャッチするアンテナの一つで、風の向きや壁が迫る感覚もつかむ。だが、マスクで顔が覆われると、その感覚が鈍る。又、聴覚障がい者は手話だけではなく、相手の口の動きから話しの内容を理解するので、マスクの着用は困難を来す。「ガイドヘルパーと散歩に行くのも遠慮した」とか、「手にして商品を選ぶので、思った商品と違うと棚に戻すことが周囲から見たら不快に感じるのではと懸念している」との声を聞く。

丁度、本日からNCCの“障害者”週間を迎えるが、「障害者」と教会問題ニュースの中で、委員長の日高馨輔(けいすけ)氏が下記のように語っていた。

「多くの障がい者がサポートを受けられず、行動の不便を感じながら閉じこもり、孤独の日々を送っているのではないかと思われます。そのために精神的病にかかって苦しんでいる人々もいると聞いています。もちろん、これは障がい者に限ったことではありません。すべての人に関わることでもあります。私は障がい者の一人として強い危機感を感じています。このような社会では、つながり合うことも支え合うこともありません。障がい者は、このような社会で生きることはできません。私たちは孤独では生きられないのです。一人ではなく、人との交わりの中で生きるようにと、神は私たちを造られたのです。

主イエス・キリストはこう言われました。

「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」ヨハネ15:4。

わたしたちは今、このような時だからこそ、より強くより真剣に主イエス・キリストを中心にしてつながるのです。そこにこそ支え合い、互いの命を尊重する心が生まれてくるのです。・・・今の時の終わりを信じ、互いに手を取り合い、共に喜び合えるその日が近いことを願い祈りつつ、希望を持って歩み続けて参りましょう。」