6/23「沖縄慰霊の日」(沖縄〈命どぅ宝〉の日)祈り 沖縄から宣教を考える会 

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1609年 島津氏は武力をもって琉球を侵攻しました。

1879年 明治政府は琉球を沖縄県として日本に併合しました。(日本は琉球処分と呼ぶ)

1945年 「本土」防衛・国体護持の時間稼ぎのため、沖縄を戦場にしました。「捨て石作戦」として沖縄を犠牲にしました。

1952年 沖縄を米軍施政権下に残す代わりに、「日本本土」が独立しました。沖縄を差し出しました。

1972年 戦争放棄と人権の尊重を土台とする日本国憲法に信頼し、基地がなくなることを期待して日本に復帰しました。

しかし戦後76年経っても、日本の0.6%の面積の沖縄に在日米軍専用基地の

70%以上が集中しています。日本は帰るべき祖国ではなかったとの声も聞かれます。基地が存在する故の構造的事件事故が絶えず、生存権が確保されていません。

いつ沖縄に平和憲法が適用されるのでしょうか。適用されないままに、憲法が変えられてしまうのでしょうか。

世界一危険と言われる普天間基地を返還するから、新しい基地を造って提供しなさいと、大浦湾を埋め立てて辺野古の新基地建設が強行されています。

大浦湾はジュゴンが食べる藻場が豊かに存在します。保護すべき世界で最も重要な海域として、辺野古・大浦湾一帯が日本で初めてホープスポットとして認定されました。大浦湾の埋立てに沖縄県北部の本部(もとぶ)半島の土砂が運ばれています。ここにも沖縄戦の遺骨が眠っています。島の姿が変わるほどに大地が削られ山が泣いています。沖縄防衛局が沖縄県に設計変更の申請をしています。大浦湾にマヨネーズ状の軟弱地盤が発見され7万7千本の杭を打ち込まなければなりません。また、日本全土から埋立用の土砂を運ぶ予定でしたが困難になり、すべての土砂を沖縄県内、沖縄島南部からも土砂を集め、投入する計画が立てられています。

南部は沖縄戦の激戦地で、沖縄の人・アメリカの人・韓半島の人・中国の人・アイヌの人・「本土」の人など多くの遺骨が残存しています。生きたいと望みつつ、命を奪われていった一人ひとりの遺骨を、再び戦争に用いようとするのでしょうか。死してなお戦わされ、利用されるのでしょうか。沖縄戦を体験した高齢の方々が、「戦(いくさ)は二度とならん」と座り込みの非暴力抵抗を続けています。いま、南西諸島に次々と自衛隊基地が新設され、ミサイルや弾薬が運び込まれています。沖縄を再び戦場に差し出そうとするのでしょうか。いつまで沖縄を消費し続けるのでしょうか。