賢者の贈り物

Home / 週報巻頭言 / 賢者の贈り物

クリスマス・プレゼントを何にしようかと皆さんは思い巡らすことはないか。そんな時、私はO・ヘンリーという人が書いた『賢者の贈り物』という小説を思い出す。貧しい夫婦のジムとデラは互いに相手にクリスマス・プレゼントを贈ろうと考えた。妻のデラは、夫のジムが持っている懐中時計用にぴったりの鎖を贈ろうと願い、そのお金を工面するために、自慢の美しく長くて立派なブロンドの髪の毛をばっさりと切り落として売った。一方、夫のジムはデラの自慢の髪の毛にぴったりのべっこうの櫛を買うために、懐中時計を売った。その日の夜、仕事から帰ってきたジムは、髪の毛を切ってしまったデラを見て呆然としたのである。デラの髪の毛をとかすための櫛も、懐中時計のための鎖も、今や両方とも、役に立たなくなったのである。

なんとも愚かな贈り物である。私ならショックで寝込んでしまうだろう。しかし、O・ヘンリーは、このジムとデラの夫婦こそが、「一番大切な宝物を、最も賢くない方法で、お互いに犠牲にした、愚かな人たちだ」と言い、その「愚かな人たちこそが最も賢い人であり、最も愚かな贈り物こそが、最も尊いのだ」と言う。これこそが、クリスマスに最も相応しい贈り物である。なぜか。それは、父なる神が最も大切な独り子を、十字架の死という最も愚かな方法で、私たちのために献げてくださったからである。

神は、ご自身に背き、その御心を悲しませてばかりいる私たちのために、最も大切な独り子を与えてくださった。しかも、そこまでされたからと言って、人間が神に立ち帰るという保証は何もない。もしかしたら、主がこの世に生まれ、十字架に死んでくださったことが、全く無駄になってしまうかもしれない。それなのに、最愛の独り子をこの世に与えるというその愚かな行為を、神は敢えてしてくださった。

なぜそこまでされたのか。それほどまでに、私たちを愛してくださったからである。それは神のこの「限りなく尊い愚かさ」によって、私たちは罪と死の滅びから救われ、永遠の命が与えられたのである。クリスマスは、独り子を与えてくださった神の恵みに、どう応えていくかを私たちに問い掛けている。私たちは、主の生涯のすべてが限りなく愚かで尊い、十字架の死に向っての歩みであったことを、今一度覚え、それぞれの遣わされた場にあって、神への感謝と献身の思いを表していきたい。周りの人からすれば、神のために献げる時間や労力や献金は、愚かで無駄なことに見えるかもしれないが、聖書はこれこそ「賢者の贈り物」であると告げているのである。