安倍首相が70年談話の中に、戦後50年の村山談話に明記された「植民地支配」「侵略」「おわび」「反省」という四つのキーワードを盛り込んだが、釈然としないのは私だけではないだろう。それは「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました」というものの、「私」はという主語が見当たらないのである。むしろ「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのが本音である。かつて誤ったからもういいではないか、欧米列国も植民地支配をしたではないか、日本だけ誤り続けるのは自虐的ではないか・・安倍首相自身が岸信介(A級戦犯として逮捕されたが後に首相になる)の「孫」であるので、「謝罪を続ける宿命を背負いたくない」のである。しかし、「謝罪はもういらない」と決めるのは被害者であって、加害者ではない。
70代の男性が、イギリスまで行って90代になる元イギリス兵に謝罪する番組を見て、謝罪とは何かを教えられた。その男性の父は、日本兵として南方の捕虜収容所で捕虜を虐待し死なせた罪で、戦後裁判にかけられ死刑となった。やさしい父がなぜそんな事をしたのか、戦争が人間の性格まで変えてしまうことの恐ろしさを知ると共に、父の犯した罪を謝罪したいと願い、捕虜であった元イギリス兵を70年後に訪ねるのである。元イギリス兵は驚くと共に、その真摯な姿勢に心打たれるのである。そして「過去の出来事は変えられないが、あなたの思いは十分にわかりました。これからはあなたの人生を生きて下さい」と慰めるのである。父も戦争の犠牲者だ、父を恨んでいるであろう元イギリス兵の所まで出かけて謝罪しなくても、息子として道義的責任はないように思える。しかし、父が、又日本人が戦時中にしてきたことに向き合って謝罪することで、和解を経験し、平安を得ることができたのである。
最近来日したウタ・ゲルラント氏(「記憶・責任・未来」財団理事会の専門職員)は、「歴史問題を終わらせようという人は同じ敗戦国であるドイツにもいるが、主流ではない。歴史の責任は次の世代にもあるというのが、ドイツの姿勢だ。過去は、現在、未来についてくるものだ。それをはねのけることはできない」と述べ、若い世代が過去を直視し、「謝罪を続ける宿命を背負って生きる」ことの重要性を語った。「耳を傾け、目を開き、あなたの僕の祈りをお聞きください。あなたの僕であるイスラエルの人々のために、今私は昼も夜も祈り、イスラエルの人々の罪を告白します。私も私の父の家も罪を犯しました。」ネヘミヤ記1:6 週報2154 2015.8.23