自然災害における教会の対応

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今年は日本列島に次々と自然災害が起こり、甚大な被害をもたらしている。6月に大阪府北部地震、7月に西日本豪雨、9月に台風21号と北海道地震、それに加えて命に関わる高温気象。世界にも言えることで、洪水や山火事が、世界のあちこちで起きている。もはや自然災害は、終末時代に生きる私たちには稀なことではなく、日常的なことになり、自然災害における私たち教会の対応が求められている。

丁度、今年発行された『日本バプテスト連盟70年史』の中に「自然災害における教会の対応」という文章があったので、ここに紹介したい。

「毎年、日本各地で様々な災害が起こる。多くの災害は、自然災害でありつつ、人的災害の側面を併せてもつ。日本社会が内包しつつも、人々の目に隠されている様々な歪み、矛盾、不正義を災害はあぶりだし、教会を問う。災害のただ中で、教会は自らの存在意義を聖書からどのように聴き取り、どのような宣教理解に立って、被災者の痛みや悲しみを背負い生きる人々を支援するのか。何を祈り求めて共に歩むのか。災害支援の取り組みを通して、日本バプテスト連盟諸教会は福音の内実の問い直しを受けてきたといえる。」

また「“支援と伝道”を巡る問い」という文書には、こう記されていた。「被災地の教会が直面している課題の一つに“支援と伝道をどう考えるか”という課題がある。支援に携わる一部の人々から“支援は伝道の手段である”という理解が提起された時、現地支援委員会は“支援を伝道の手段とすべきではない”というスタンスに立って活動をした。例えば“炊き出しと一緒に聖書を配るべきだ”という理解に対して、被災の中にある人々に“支援と取引をするような伝道”は厳に慎むべきという理解に立ったのである。“バプテスト”(キリスト者)という看板を隠すことはしないが、支援の場は支援に徹し、人と人との関係が深まる中で相手から求められた時に“信仰を証しする”スタンスである。そこでは“被災者をどう見るか”という視点が問われた。“かわいそうな人、福音を必要としている人”と見なし、自分は“福音を提供し、助けてあげる人”という理解に立つのではなく、現地支援委員会では“被災者は、今まで自分たちが見えていなかった課題を見えるように、聴くことができずにいた声を聴くように促し、導いてくれる存在であり、私自身の福音理解を問い直し、教会が取り組むべき課題を指し示してくれる大切な存在”という理解へと導かれたのである。」

私たちは神の声を聴くと共に、被災者の声を聴くことが求められている。相手の心に寄り添い、相手の願うことを祈り求めることが「主の愛に生きる教会」ではないか。