自分の「アンコンシャス・バイアス」に気づこう!

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最近、「アンコンシャス・バイアス(unconscious bias)」という言葉をよく耳にする。日本語では、「無意識の思い込み」「無意識の偏見」などの言葉で表現される概念である。「アンコンシャス・バイアス」は無意識であるため、なかなか自分では気づきにくいが、「決めつけ」や「押しつけ」の言動となって表れる。「男性は○○であるべき」「女性は○○するのが普通だ」と決めつけることは、「アンコンシャス・バイアス」で、その思いが行動となって表れ、人を無意識のうちに傷つけてしまうのである。

女性の権利が日本より一歩進んでいると思われるアメリカですら、南部バプテスト連盟では、現在でも女性牧師を認めていない。その理由は、聖書にはそう書いてあるからだというのである。「婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。」Ⅰコリント14:34。「婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。むしろ、静かにしているべきです。」Ⅰテモテ2:12。南部バプテスト連盟の中の、逐語霊感説に基づいた原理主義的な捉え方によって、「女性が牧師になることは、女性が男性の上に立つこと以外の何物でもない」ので、そんな考えを持っている牧師・宣教師は「追放してしまわなくてはいけない」という考えに支配されて、日本に来ていた宣教師も心を痛めて辞めざるを得なかった。しかし、聖書をよく読むと、「女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。」Ⅰコリント11:5と、女性が教会で「祈ったり、預言したりする」ことは、全く問題視してはいないことが分かる。「無意識の思い込み」「無意識の偏見」によって聖書を読むことで、人を傷つけ、差別を生む恐ろしさがある。

生まれも生い立ちも生き方も違う私たちは、「アンコンシャス・バイアス」に影響を受けている。「アンコンシャス・バイアス」は誰にでもあるし、それ自体は問題ではない。問題は自分は「正しい」と思い込み、自分の「アンコンシャス・バイアス」に気づかないことにある。だから「気づこうとする意識があるかどうか」が何より大切である。気づくことで、豊かな人間関係が広がっていく。自分自身の「普通」や「当たり前」を見つめ直すことで、無意識に人を傷つけることをなくし、多様な価値観を認め合える社会の一助を担うことができる。自分の「アンコンシャス・バイアス」を積極的に開示する姿や、自分が変わろうとする姿を見せることは、やがて周りを巻き込んでいくことへと繋がり、社会がより良くなっていくことに繋がると期待するものである。