聖霊によって与えられるビジョン

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教会にとって大切なことは何か。それは、ビジョン(幻)を持つことである。「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。」箴言29:18(新改訳)。つまり幻がなければ、各自は自分勝手に舞うのである。そして、目標を見失い、バラバラの状態になってしまうのである。共同訳でも「幻がなければ民は堕落する。」という言葉の後に、「教えを守るものは幸いである。」と記す。幻を神から教えられた啓示の言葉として捉え、御言葉に聞き従わないと、民は堕落していく。そして「幻なき民は滅びる」のである。

「その後 わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し 老人は夢を見、若者は幻を見る。その日 わたしは奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。」ヨエル3:1-2。このヨエルの預言が、ペンテコステの時に成就した。今は、すべての人に神の霊が注がれている時代である。決して牧師や執事だけに神の霊が注がれているのではなく、老人にも若者にも、誰にでも神の霊が注がれている。この夢や幻は、聖霊によって見せて頂くものであるから、それを求めていく中で与えられる。単にこうなったら良いという、その人の願望ではなくて、こうなるように神は私たちの教会を用いようとしてくださっている。「自己実現」ではなく、「神実現」の夢であり幻である。そしてこれは、神の御業に仕える時、必ず与えられるものである。

聖霊による夢や幻は、私たちの計画を超えていく。「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください。」使徒言行録16:9というマケドニア人の幻をパウロが見た時、これを主の導きと信じ、パウロ一行は海を越え、ヨーロッパ伝道をすることになった。その最初の一歩は、パウロへ聖霊によって与えられた幻から始まる。幻というものは、全員が一度に同じ幻を与えられるというよりも、一人の人に与えられ、それが皆に共有されるようになっていく。そういうものであるのかもしれない。

すでに私たち教会は、会堂と牧師館という大きな賜物を頂いたが、「クリスチャンホームの形成」「信仰の継承」「開拓伝道」といった幻の実現はこれからの課題である。福音を伝えていくために、神は私たちの教会に何を求めているのか。何が必要で何が出来るのか、何をしなければならないのか。皆で夢を見、幻を見、それを語り合っていきたい。そして、夢や幻の実現を求めて、絶えず祈り合っていきたい。その時、私たちの心は燃やされ、希望を抱いて積極的に、主に仕えていくことが出来るであろう。聖霊による夢とは幻は、私たちを元気にする力を持っているのである。