AI(人が実現する様々な知性を人工的に再現するもの)を使えばすぐに最適な結果が得られる、すぐに最善の答えが得られると、どの世界でももてはやされている。又、「即効性」を謳う本がたくさん並んでいる。「5分でわかる」とか「たちまち効果が出る」とか、「この一冊を読めばすべてが分かる」とか。そのような謳い文句を目にすると、つい手に取ってみたくなるのではないか。しかし、それだけ私たちの日々の生活において、余裕が失われていることの表れであるのかもしれない。ゆっくり待つ、じっくり考えてみる、そのことに耐えうる力が失われてしまっている。
精神科医・小説家の帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)さんの表現を借りると、「答えの出ない事態に耐える力―性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を養うことである。コロナ禍の3年半、私たちは様々な困難に直面し続けてきた。その中で、私たちはすぐには答えが出ない、難しい状況に直面した。そのような中で、「急がず、焦らず、耐えていく力」の必要性を実感した。問題を今すぐに解決できなくても、何とか持ち応えていく力、それが私たちが生きていく上でもっとも大切な力であることに気づかされてきたのではないか。
同じように、神の言葉は私たちにとってすぐに理解のできるものではない。聖書を読んでいても、むしろ不可解な言葉、よく分からない言葉の方が多い。たとえすぐに意味は分からなくても、答えは出なくても、その言葉を大切に心に留め、思い巡らしていく姿勢が大切である。実を結ぶまでには時間がかかる。しかし、きっと実を結ぶ時が来る。いつか必ず、収穫の時が来る。その信頼を私たちの内に新たにしたい。
「涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」詩編126:5-6。
私たちは一人ひとり、人生において、「種を蒔く人」である。私たちはそれぞれ、日々懸命に、まだ見ぬ明日に向かって、種を蒔き続けている。種が芽を出し、実を結ぶまでには時間がかかる。すぐには結果が出ることは少ない。失敗が続き、時には、泣きながら種を蒔くこともある。しかし、いつかきっと喜びの日、収穫の時が来る。もしかしたら、生きている間には結果が出ないことがあるのかもしれない。でもいつか、喜びの歌と共に実った穂を刈り入れる日がくる。私たちが涙と共に蒔いてきた種を、神は御心のままに用いてくださる。私たちにはその希望が与えられている。