私たちもピースメーカーになろう!

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アメリカには、「ピースメーカー」という名前の拳銃があるそうだ。自分の身の安全を守る為には、銃が必要だと。しかし、その銃があることによって、どれだけの悲劇を生んでいることか、度重なる銃乱射事件は物語っている。銃(武力)によっては、平和は造り出すことはできない。主イエスは、平和を実現する人々は、幸いである、その人達は神の子と呼ばれる」マタイ5:9と宣言された。この「平和を実現する人々」とは、英語で「ピースメーカー(平和を造り出す人々)」と訳される。この言葉は、「平和を願う人」「平和を祈り求める人」「平和運動に参加する人」「平和を守る人」のことではない。

では、「平和を造り出す人々」とは、どういう人か。ある説教者は、「争っている人々の中に入って行き、平和を造り出すこと、その両者を和解させることこそが平和を実現することだ」と語る。私達は誰も争いは好まないし、争いはできるだけ避けたい。むしろ私達は、その争いの中で、平和を実現するどころか、逆にその争いの相手に対して怒ったり、恨んだり、攻撃したりするのではないか。平和を実現することは、本来私達人間には出来ないことである。しかし、私達は十字架の贖いによって回復された神との和解を前提として、主の愛と赦しによって他者を受け入れる生活へと招かれ、その招きに応えることによって、「平和を実現する人」へと変えられていくのである。

では、争いの中で、平和を実現するというのはどういうことか、本日、佐々木先生から学べることに期待したい。先生は、加害者と被害者やその遺族との和解を目的とする、『癒しと和解』プロジェクトに忍耐強く取り組んでこられた。加害者と被害者を集めた学習会を開き、被害者は加害者に辛い体験を語りかけ、又、加害者には、どのように罪の償いができるかを話し合った。そして、住居を壊したことで、今なお粗末な家に住んでいる被害者のために、家を建てるという試みが続けられた。

“ルワンダの学生達と平和について語り合った時、とても印象深い言葉があった。それは、「平和はみんなのもの」つまり、自分の状態が良くても、苦しんでいる人達が周りにいるなら、その状況は平和とは言えないということだ。もし私達が自分だけの「平和」に満足していたとしても、そんなものは本当の平和ではないのだ。主イエスは、「平和をつくる者は幸いです。その人達は神の子どもと呼ばれる」マタイ5:9と言われた。この言葉は、私達皆への主イエスの呼びかけ、招きの言葉なのだと思う。平和は、特別な仕事をする特別な人達によってつくられるのではない。主イエスは今、日本でもルワンダでも、ご自分と共に働く「ピースメーカー」を求めておられる。真の平和の実現のために。”佐々木和之