私たちは「キリストの復活」という出来事が、本当にあったのかどうかを客観的に証明することはできない。復活はあくまでも私たちがそれを信じるかどうかという一点にかかっている。それは主の弟子たちも同じであった。ルカによる福音書24章には、主の処刑後、二人の弟子が故郷であるエマオへと向った時のことが描かれている。
この二人の弟子は、主がイスラエルをローマの支配から解放してくださる方だと信じ、望みをかけていたが、その主が十字架につけられ、3日目に甦ったと仲間の婦人たちから聞かされた時、にわかには信じられなかった。望みを絶たれた彼らに残された唯一の道は、エマオへ帰り、かつて捨てたはずの生活に戻ることであった。道々、悲しげに論じ合いながら歩いていた二人の弟子に、主はすぐ横にきて、一緒に歩いて話しかけてくださった。しかし、この方が、彼らには主であるとはわからなかった。
二人の弟子は、後で振り返ってみて、「あの時、私たちの心は燃えていたではないか」と思い出した。“二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。”ルカ24:32。二人が「心が燃える」経験をしたのは、聖書がわかるようになった時である。「わかる」というのは、単に知的に理解するということではない。知的充足を覚えても、心は燃えることはない。わかるというのは、キリストの生と死と復活が自分のためであると気づくことである。主が死なれ、そして復活されたのは、まさにこの私のためであったと気づく時、心が燃えるのである。「主は、私の気づかないうちから私と共に道を歩いてくださり、私の目を開いてくださった。私の進むべき道を、主は復活によって切り開いてくださった。」と気づく時、誰でも 「たちまち目からうろこのようなものが落ち」使徒言行録9:18を経験できる。
有名な「エマオの途上」の絵は、なぜ夕暮れではなく、朝の場面として描かれているか。それは、復活の主と共に歩む道は、前方に広がる光へと進んで行く道であり、次第に暗くなって行く歩みではないことを表しているからだ。主の死後、婦人たちは、主の遺体の葬りをすることで、最後の慰めを見出そうとした。それが敗北後、人の出来る精一杯のことかもしれない。しかし、主は、無力で儚い救い主ではなかった。復活を信じる私たちは、死に支配されない、死を越えた望みに生きることが出来るのである。失意の底にある時も、エマオ途上の弟子たちと同じように、主が共にいて、歩んでくださる。私たちも御言葉を聴く中で、いつも「心が燃える」ものがありたい。