私たちの上にも聖霊が降る

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「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」

使徒言行録2:4。ペンテコステは、クリスマス、イースターと並ぶ「三大祭」と言われながら影が薄いのは、2千年前の出来事にしてしまっているからではないか。しかし、ペンテコステの日に弟子たちの上に降った聖霊は、今日の私たちの上にも降っている。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。・・・地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」同1:8という主の約束が実現していくのを見るのである。

ペンテコステは、「伝道の始まり」と言える。主の救いを、直接主と生活を共にした弟子たちだけの出来事に終わらせず、世界中の人々に関わる出来事として語り広める伝道の働きが、この時から始まった。その意味で、ペンテコステの日に弟子たちが「ほかの国々の言葉で話しだした」とあることは大変重要である。ウィクリフ聖書翻訳協会では、新約聖書のみの翻訳が完成した言語は、1550に迫る勢いだが、しかし世界には7千以上の言語があり、世界の5人に1人は、母語で聖書を読むことができない。聖霊の働きによって、更に多くの言語に翻訳されることを期待したい。

ペンテコステは、「バプテスマを決心し、教会に加わる時」とも言える。時々、「私のような罪深い人間は、皆さんのように立派なクリスチャンにはなれない。」「私のような不信仰な人間は、とても救われることはできない。」という声を聞くことがある。その時、福音が相手の心に届いていないと感じる。私たちは罪深く、不信仰な人間であるからこそ、主の救いが必要なのであって、自分の力で主の教えを守ることはできない。だから、ペンテコステの日のペトロの説教は、「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい。」同2:38であった。

ペンテコステは、又「教会の誕生日」とも言われる。聖霊が降った弟子たちは、神の力によって結ばれ、新しい共同体となった。この時、弟子たちの集まりはただの集団ではなくなり、互いに深い絆で結ばれた共同体としての「教会」が生まれた。それは弟子たちだけの閉ざされた共同体ではなく、伝道によって絶えず新しい仲間が加えられていく、民族や文化、性別をも超えた共同体であった。「汝の敵を愛せよ」と言われた主は、「十字架によって敵意を滅ぼされました。」エフェソ2:16。報復ではなく修復のために、福音は全ての人に必要である。それ故、福音を特定の民族、特定の地域だけに留めることなく、「地の果てに至るまで」伝える使命が私たちにはある。