私たちには夢がある

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マーティン・ルーサー・キング牧師が召天後50年経っても、彼の説教は心に迫ってくる。当時のアメリカは、白人と黒人が同じバスに乗ることさえ出来ず、黒人が白人から様々な差別を受けていた。彼は南部バプテストの牧師でありながら、公民権運動に立ち上がった。その時の説教が「I Have Dream(私には夢がある)」である。

「私には夢がある。ジョージアの赤土の丘の上で、かつて奴隷であった者たちの子孫と、 かつて奴隷主であった者たちの子孫が、兄弟として同じテーブルに向かい腰掛ける時が 来るという夢が。私には夢がある。いつの日にか、私の四人の幼い子供たちが肌の色によってではなく、人となりそのものによって評価される国に住む時が来るという夢が。」

私たちにも夢があるのではないか。全ての人の唇に、主をほめたたえる賛美が溢れる日が来ることを。世界から飢えも戦いも無くなり、互いに支え合う日が来ることを。私たちの子孫が、神と人に愛され、神と人を愛し、神と人に仕える者となることを。御心が天になるごとく地にもなることを。御国が来ることを。この夢に生きる時、私たちの家庭に、世界に、希望が生まれる。この希望こそ、私たちが自分を取り巻く困難な現実に飲み込まれず、罪の中に沈み込んでいくことを防ぐ力である。

ヤコブも兄エサウとのトラブルがあり、故郷を出て行った時、夢を見た。それは神の御使いが天にまで達する階段を上り下りするというものであった。そして、神の祝福の約束、「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」創世記28:15という言葉を頂いた。この夢が、ヤコブのそれからの日々を支えた。私たちに必要なのは、試練多き現実を前にして、どうしたら良い結果を生むことが出来るかという方策ではない。私たちに必要なのは、方策ではなく、神が与えてくださる夢である。神が共にいてくださり、私を守り、支え、導いてくださるならば、どんな現実があろうとも、必ず神の祝福があることを確信できる。

キリスト者とは、夢を見る者である。そして、そこから来る希望に生きる者である。この希望は、死でさえも私たちから奪うことが出来ない。主の復活の希望が与えられているからである。私たち上尾教会には夢がある。その夢が、神が与えてくださる夢ならば、神がその全能の力をもって実現してくださる。今年度も神が与えてくださる夢と希望の中を、一人一人が為すべき務めに誠実に励んでいきたい。