20年前、この会堂を建てた時、『上尾教会が求めてきた教会像』の中で、「私たちの教会の第一の使命は、地域に開かれた教会として、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることです。」と宣言した。この宣言を今、深く噛みしめている。上尾教会が主の教会としてこの地域に提供できるものは何か、それは福祉でも教育でもない、主の福音である。主の福音が一人ひとりにどれほど豊かな人生をもたらしてくれるのかを宣べ伝えることである。そのために、特別な集会を企画し、案内のチラシをこの地域に蒔き、ホームページで広く案内してきた。その働きは、今後も続けていきたい。
20年経つと、この地域がどんな所か段々に分かってきた。三井住宅や西上尾第一団地は高齢化が進み、一人暮らしの方が多いこと、また、周辺には新しい住宅が次々と建てられ、若い世代が住んでいること。そのような異なる世代にも主の福音を届けるために、「泉のほとり」では、指圧、がんカフェ・認知症の方と共に生きる、終活、キリスト教式葬儀などのテーマで取り組み、また、子育て世代には、「プレクリスマス」などで、子供と楽しく過ごしてもらう企画が続けられている。
ビジネス界では「費用対効果」という言葉が使われ、かけた費用に対して、どれほどよい結果を得られたかが問われるが、福音宣教の世界は、「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。」コヘレト11:1。その時は、無駄(徒労)に思えても、何年後・何十年後に実を結ぶということが起こるのである。「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。」詩編126:5とは、真実である。
主の福音は、ただ言葉だけではなく、人格を通して語られる。三井住宅に建っている上尾教会は、近所の方から良きにつけ悪しきにつけ見られている存在である。近所の方に気持ちよく挨拶をするだけでも、教会に対する好感度は違ってくるだろう。
「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」使徒言行録2:46-47。私たちは近所の方から「好意を寄せられる」存在になっているだろうか、それとも煙たがられる存在になってはいないだろうか。神への賛美は、おのずと隣人への愛に向けられるものである。「地域に開かれた教会として、イエス・キリストの福音を宣べ伝える」ためには、日頃からの私たちの信仰生活が証となっているかが問われている。