神様から与えられているもの 教会員

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先日、3歳の娘が引出しの中にしまってあったお年玉を手に取り、「ママ、これでバナナも買えるし、献金もできるね!」と言った姿に心がほっこりしました。そして、こんなに小さくてももう「献金をする」ということが身についているのだと感心しました。

さて、今回スチュワードシップの巻頭言を書くにあたり、改めて私が神様から与えられ、託されているものについて考えてみました。健康、家族、仕事、お金、・・・どれも注意していないと、あって当たり前だと勘違いしてしまうものばかりです。

私は、今年大流行したインフルエンザに太刀打ちできず、10年ぶりに40度近い熱を出して数日間寝込みました。節々の痛みで寝たくても眠れず、ベッドの上で祈るのみ。“喉元すぎれば熱さ忘れる”という諺がありますが、体調が回復してもこの身体は神様に守られていることを忘れてはいけないと思いました。

また、我が家は夫の仕事の関係でここ2年ほど家族が離れて生活する日々が続いています。パパがいない弊害は主に子どもたちに及んでいます。パパがいない間は、私が夜中に少しでも動くと二人の娘も起きてきます。あんなにぐっすり眠っていたはずなのになぜ?と思いますが、「誰かがいなくなる」ということに非常に敏感になります。そして、ママを巡って兄弟喧嘩をする回数も格段に増えます。そうなると、私のイライラが爆発し、結局子どもたちが理不尽に怒られるという毎日です。神様が与えてくださっている家族を傷つけていることを反省し、同時に家族が一緒にいられることがどんなに感謝なことなのか肝に銘じなければいけません。

仕事やお金も得られてあたりまえではありません。昨年、ゲリラ豪雨で車検を通したばかりの愛車が水没し、廃車になってしまいました。急遽新しい車を購入する必要が生じ、まとまったお金も必要になった訳ですが、やはり生きていくためにはお金がいると痛烈に感じた出来事でした。ただお金というのは魔力も持っています。お金があればあるほど、自分は他よりも価値の高い人間であると錯覚しやすくなります。金額にばかり目がいってしまうと、献金することに抵抗が出てくる可能性もあります。私は経済的な長期プランを考えるのが得意ではないので、大まかなことは夫に任せています。でも、基盤は神様に任せることにしています。「天に宝を積みなさい」というみ言葉に従っていきたいと思います。

神様から与えられているたくさんの恵みに感謝をすることを忘れず、託された賜物を存分に用いていきたいと思います。そして「困ったときの神頼み」ではなく、「いつでもどこでも神頼み」をモットーに信仰生活を歩んでいきたいと思っています。