神は光を造り、闇を創造された

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「光の祭典 クリスマス!」というキャッチフレーズに出会う。クリスマスは、確かにキリストの誕生という圧倒的な光の宣言である。希望と喜びに満ちた天使の受胎告知、マリアの賛歌、シメオンの幼子への祝福、どれも光輝いている。しかし、一方でヘロデは救い主の出現を恐れ、幼児を虐殺し、生まれたばかりのイエスはエジプトに難を逃れなくてはならなった。クリスマスには、「光と闇」が存在していた。

私たちの人生も、また「光と闇」が存在しているのではないか。人生の不条理や悲しみ、この世界の苦しみを前にして、時に私たちは言葉を失い、これをどう捉えてよいかわからず、うろたえたちすくむ一年ではなかったか。こんな時に、拠りどころとなる御言葉に出会う。「光を造り、闇を創造し 平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである。」イザヤ45:7 私たちの神は、光を造られた神であると同時に、闇も造られた。そして神は平和を造られ、同時に、災いも造られた。

それが私たちの神である。実際、イザヤ書はイスラエルが現実に闇に生きるうちに記された書物である。バビロン捕囚という奴隷にされた「闇」、そして、キュロスというペルシアによっての解放としての「光」。バビロンによって苦しめられたことも、キュロスに助けられたことも、すべては、世界の創造主である神の出来事だと言う。神は困難の時にも共におられ、そこから光の道に導いてくださる。だから、私たちの目の前の困難も、その闇も、その災いも、創造主なる神が造られていると言う。

私たちはどれだけ、この御言葉を受け入れているか。特に、今、目の前が困難で立ちふさがれている時、その困難が、神によるものであることなど、受け入れられないのではないか。自然災害や突然の事故や病気に見舞われる時、私たちは神を見失い、神の愛を感じ取れなくなるのではないか。そのような思いに答えをくれた詩がある。

病まなければ ささげ得ない祈りがある 病まなければ 信じ得ない奇蹟がある

病まなければ 聞き得ない御言葉がある 病まなければ 近付き得ない聖所がある

病まなければ 仰ぎ得ない聖顔がある

おお 病まなければ 私は人間でさえもあり得ない

ここでは苦難が見事に恵みの出来事に変っている。「苦しみに会ったことは、わたしに良いことです。」詩篇119・71(口語訳)という聖句を思い出させる信仰の詩である。