神の秘められた計画        教会員

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「人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。」コリントI4:1-2

厚生労働省は人の人生を六つに区切っていて、それによると私は45〜64歳の「中年期」に相当する。その中年期真っ只中の54歳の時、「武章子のための神の秘めた計画」が幕を切って落とされた。「人生の海の嵐に 揉まれきしこの身も…」の讃美歌の如く、揉まれに揉まれ、これは一体どういう事?何のために?神様はどういうつもり?

自分は秘められた計画を委ねられた管理者だなんて思う余裕など無かった。ただただ、神様が良しとされる道を選び取れるように助けてください、と祈りながらも、私はなんで教会に来ているんだろう…ともがく日々。

夫婦のあり方を問われ、仕事の内容が変わってからは自分の足りなさを突きつけられ、一難去ってまた一難、秘められた計画は続いた。

その度に、なぜ?→神様助けて!→耐えられない試練はないはず!→神様いつまで?→なんでこんな事に…思考回路はぐるぐると同じ所を回っているようで、ぐるぐるしながらも螺旋(らせん)階段を登るように少しずつ歩み進んできた。今思うと、神様はいつも私の一段先におられ、一段ずつ私の手を引いてくださっていたと確かに思う。そして昨年の12月30日、思いがけず30年来の知人から仕事の誘いを受けた。その仕事は私にとって全く新しい職種だった。その頃、今の仕事と教会奏楽の両立に行き詰まりを感じていた私の心はぐらりと傾いた。しかし、待て待て。私にとってあまりに都合の良い話。ただ現状から逃げたいだけなんじゃないか、今の仕事を辞めるなんてそう簡単にはいかない。自分を諫めつつ客観的な意見を求めていろんな人に相談していく中でふと、逃げとかしがらみとか自分の都合とか、全部こそげ落としたら私は一体何を一番大切にしたいのか?と問うてみた。意外にもすぐに、しかしはっきりと答えが見えた。

私は神様からいただいた奏楽を大事にしたい。神様が許してくださる間は上尾教会で奏楽をしたい。そして、伝えたい。13歳で奏楽を始めて、こんなにもはっきりと「奏楽が大事」と認識した事は無かった。弾けるからするのではない。私は神様から「奏楽」をいただいた。中年期の次の高年期も私は神様の秘められた計画の中で得たこの確信の忠実な管理者になりたい。