神の恵みに目を注ぐ   教会員

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上尾キリスト教会に転入会させていただいて15年、教会では毎2月3月は、「スチュワードシップ月間」として、教会員による週報の巻頭言や礼拝での証しがなされている。私も過去何回か巻頭言や証しを担当することがあり、その都度自分の信仰を点検する機会を持ってきた。

「スチュワードシップ」という横文字の言葉は何となじまない言葉だろうかと考えつつ、テキスト『神の同労者』にある神から与えられている、時間、からだ、賜物、献金等、神のために用いているのか、自己満足の手段としていないか、吟味する時と思ってきた。そして、信仰がマンネリ化しないために必要なことと思ってきた。

今回、テキストにある「スチュワードシップはクリスチャンにとって神の恵みに目を注ぐことから始まる、喜びに満ちた人生への招きなのです。」との文章が目に留まった。神の恵みは、単に生かされているとか、守られているとか、日用の糧を与えられているとかだけではなく、神との出会いによって180度人生が変えられることにあるのではないか。神に背を向けてきた罪人たる私が神の独り子イエス・キリストを救い主として受け入れることによって、キリストの十字架と復活を信じることによって、私を取り巻く周囲は変わらなくても、私の心が変えられたこと、今までの罪を悔い改め、神と和解させていただき、心に平安が与えられ、感謝が湧き、喜びの人生を歩むことができること、それが一番肝心なことではないかと示された。

「初心忘るべからず」という言葉もあるが、救いの原点に目を注ぐこと、それが神の恵みに目を注ぐことではないだろうか。信仰の出発点を忘れて、スチュワードシップの働きにいくら励んでも、義務感とか責任感とかから、やがて疲れが出てくるのではないだろうか。

私自身信仰生活は33年になる。疲れを覚えた時もある。改めて神の恵みに目を注ぐことから日々の歩みを確かなものにしていきたいと思う。何よりも自分の存在も他の人の存在も神にあって喜ぶ人生でありたい。神を喜ぶことこそ、あらゆる力の源である。

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。

走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」イザヤ書40章31節