神が私たちと共におられる

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聖書が私たちに伝えている最も大切なメッセージの一つは、「神が私たちと共におられる」ということである。健やかな時や喜びの時だけではなく、病める時も悲しみの時も、神は私たちと共におられる、だから、私たちは独りではないことを聖書は繰り返し語っている。皆さんも、悲しい時や苦しい時に神が共にいてくださった、自分は独りではない、ということを人生の中で何度となく経験されてきたのではないか。そう感じることができたからこそ、再び立ち上がる力が与えられてきたと思う。それは、人生の最期に迎える死においても、神が共におられるという信仰がどれほど大きな安らぎと希望をもたらすものか、私に教えてくれた詩がある。

「わたしが 共にいる 治らなくても よいではないか

わたしが 共にいる 長患いでも よいではないか

わたしが 共にいる 何もできなくても よいではないか

わたしが 共にいる それで よいではないか

ある晩 キリストが そう言ってくださった」

「主がおられる それで十分ではないか それで私は満足

そこには焦りも 不安も 恐れもない

自分の果たすべき道を果たしてきた 感謝

生きるも 死ぬも 主のもの 主に一切を委ねます」

肺がんのため、4人の子どもを残して、42歳で亡くなった原崎百子さんの手記『わが涙よ わが歌となれ』の中に記されていた「わたしが共にいる」という詩である。苦しい闘病生活の中で死を目前にして、原崎さんは尚も主にあって希望を抱き、平安と充足の中にいたのである。まさに、「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」詩編23:4を思い出させてくれた。

葬儀でよく賛美する『神ともにいまして』の繰り返しに、「また会う日まで また会う日まで 神のめぐみ 絶えせず共にあれ」とある。世の終わりまで私たちと共にいてくださる主は、また私たちがこの生涯を終える時も、その後も、私たちと共にいてくださるのである。「神が私たちと共におられる」インマヌエルの主は、私たちの死をもって断ち切られるのではない。私たちの死を超えて永続していくのだというのが聖書が伝える信仰である。その信仰を、主から日々戴こうではないか。