祝福を受け継ぐ

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結婚式の翌日、家族全員で上尾教会の礼拝に出席することができた。日頃、それぞれの教会で主に仕えているので、私たち夫婦と5人の子供夫妻とその孫、21名が一緒に礼拝を捧げることは初めてのことだったので、感無量であった。私たち夫婦が結婚する時、主から与えられた御言葉は、ヨシュア記24:15「わたしとわたしの家は主に仕えます。」であった。教会の2階にも、この御言葉を木彫で掲げている。私だけが、また私たち夫婦だけが、「主に仕えます」と告白するのではなく、「わたしの家」である子供や孫たちも、「主に仕えます」と告白してほしい、そう願って祈りを絶やさず歩んできた。その甲斐があってか、子供たちも「主に仕える」ことを喜びとして歩んできた。
「祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」1ペトロ3:9と記されている。私たちが何を受け継ぐのかといえば、それは「祝福を受け継ぐ」ことである。しかし、神の祝福を子供に受け継いで欲しいと願いながら、子供はさっぱり魅力を感じないということはないか。祝福を受け継ぐということを考える時、まず、神からいただく祝福がどれほど素晴らしいか、自らが真の魅力を感じることである。自らが祝福に与ることによって、周りの人にも祝福が及ぶ、そこに祝福が受け継がれていく秘訣がある。まず自らが祝福を受けることから始めたい。何を受けたかがその人の在り方を決めていくとするなら、何を受けてきたかを問わざるを得ない。ところが、私たちは往々にして良いものよりも、悪いものを受け継いでしまうことはないか。
批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。敵意に満ちた中で育った子は、誰とでも戦います。ひやかしを受けて育った子は、はにかみやになります。ねたみを受けて育った子は、いつも悪いことをしている気持ちになります。心が豊かな人の中で育った子は、我慢強くなります。励ましを受けて育った子は、自信をもちます。ほめられる中で育った子は、いつも感謝することを知ります。公明正大な中で育った子は、正義心をもちます。思いやりの中で育った子は、信仰心をもちます。人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大切にします。他者の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。「インデアンの詩」
何を受け継ぐかは大切である。神の祝福を受け継ぐなら、祝福に満ちた人生を歩むことができる。アブラハムが「祝福の源」になったからこそ、彼の子孫も祝福を受け継ぎ、「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。」創世記22:18、ことができた。この連鎖は、私たちの家庭や教会、この社会をも変えていくのである。