目標を目指してひたすら走る

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2020年は、東京オリンピックの年である。アスリートたちがどんな走りをするのか楽しみであるが、神は私たちの信仰生活にも、走ることを求めている。

「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。」Ⅱテモテ4:7-8「決められた道」とは、自分にとって、必ずしも喜ばしい道ではない、できれば逃げたいと思う道かもしれない。しかしそれが「決められた道」であるのなら、私たちは迷ったりしないで、走りとおしたい。

「決められた道を走りとおす」ために何が必要か。「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」フィリピ3:13-14。 目標(ゴール)に向かって一目散に走ることである。「ウサギとカメ」の話は、そのことを教えている。カメより遥かに早いウサギは、ゴールを見ないでカメを見て油断し、その結果、カメに追い越された。しかし、カメは足は遅くとも、ウサギの動向には惑わされず、目標だけを見て歩み続けたので、ウサギより速くゴールインできた。競争意識ではなく、共生意識をもって、目標を目指してひたすら走ること」の大切さをここに見る。

但し、目標が目の前に見えないこともある。だからこそ、「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」ヘブライ12:1-2という生き方が必要である。「重荷」「罪」「かなぐり捨て」なければ、とても重くて走れない。私たちは、自分の努力で重荷や罪を捨てることはできない。十字架上で私たちの重荷や罪を負ってくださった主を見つめることによって、捨てることができる。「罪」は私たちの信仰生活にも「絡みついて」来るので、「忍耐強く走り抜く」ことが求められている。主は私たちに信仰を与え、その信仰を完成させ、「義の栄冠」を与えてくださる。

私たちは、ペトロのように嵐や荒波の中で、主から目を離して溺れてしまうようなことがあるのではないか。しかし、主だけを見つめて生きることが、困難な中でも前進することができる。主を見つめることは、目標を見つめて前へ進むことである。「イエスを見つめながら」この信仰の姿勢がいつも必要である。「すべての重荷やからみつく罪」「十字架の主イエス」に委ね、主を見つめたい。2020年も「前のものに全身を向けつつ」「イエスを見つめて」信仰生活を最後まで走り続けたいものである。