お金は生きてくうえで、とても大切です。なくてはならないものです。だから自分の手から離すときにとても勇気がいります。私たち夫婦が結婚するときに、当時宮原教会の牧師であられた岩波先生が何回かに分けて結婚カウンセリングをしてくださいました。その中で一番心に残っているのは、献金のお話です。先生はこうおっしゃいました。「献金をしているといつの間にか、『いくら献げたか』と手放すお金のほうにばかり気をとられてしまいます。でも10分の1献げても、あなたの手には10分の9も残っているのです。だからあなたに委ねられているのは、10分の1献げるかどうかではなく、10分の9をどう管理するかですよ。」この言葉は、献金袋にお金を入れるときにいつも思い出します。神様からいただいている日々の恵みに比べれば、私がお返ししているものはわずかにも関わらず、すぐにお金に気を取られてしまう弱い者です。
昨年、ついに祈り続けていた牧師館が与えられました。ただ、与えられたとは言っても、タダでもらったわけではなく、その背後には、多くの祈りと献げものがありました。牧師館購入が臨時総会で決まり、いよいよ献金額を書く用紙が配られました。さて、どの数字を書こうか・・これは皆さんも悩まれたのではないでしょうか。私も色々と考えました。我が家は夫婦で献げましたので、当然、インドにいる夫とも話しました。勇気をもって、私が「このくらい献げたい」と金額を言ったら、反対するかな~と思っていた夫はすぐに「真奈ちゃんが決めたならそれでいいよ」と言ってくれました。クリスチャン夫婦とはいっても、献金の話で険悪ムードになったことは数知れず。かつて岩波先生の話を聞いた時も、「自分はそんなに献げられない」とうつむいていた夫の姿を思い出し、彼の信仰を成長させてくださった神様に感謝しました。
牧師館購入を通して、私は本当に多くの恵みをいただきました。お金では買うことのできない喜びをいただきました。主は私たちの祈りに応えてくださいました。なんと感謝なことでしょうか。今、日本では、銀行にお金を預けていても、微々たる利息しかつきません。でも、天国銀行にお金を積んでおくと、神様はとてつもない利息をつけて私たちに返してくださいます。だから恐れることはないのです。
礼拝中、うちの娘たちは後ろの方で遊んでいますが、献金の時間になると立ち上がり、100円玉を握りしめ、献金当番さんが来るのをいまかいまかと待ちわびています。こんなに嬉しそうに献金している人はなかなかいないと思います。私もこの子たちの姿をみて、喜んで献げられる人になりたいと思う今日この頃です。
「十分の一の献げ物をすべて倉に運びわたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を開き祝福を限りなく注ぐであろう。」マラキ書3章10節