母の日は、100年以上前に、アメリカの教会から生まれた。アン・ジャービスという婦人が20数年間、教会学校の教師として、常々「父と母を敬え」という十戒の中にある教えを子供たちに教えていた。その彼女が1905年に召天し、娘のアンナ・ジャービスさんが、母親の記念会で、母を敬う気持ちで白いカーネーションを参列者に配った。その話に感動したジョン・ワナメーカーという人が、自分のデパートで母の日のイベントを行い、これが全米に浸透していくことになり、1914年の連邦議会で、5月の第二日曜日を母の日と定めた。ちなみに日本には、宣教師から伝えられ、森永製菓が1937年、豊島園で母の日のイベントをしたのが全国的に広まるきっかけになった。ともかく母の日は教会から始まり、しかも「十戒」の第5番目の戒めである「あなたの父母を敬え。」出エジプト記20:12という教えがその元になっていた。
「十戒」には、人が神を愛し、人が人を愛して生きていくための方法が10の戒めにまとめられている。昔ユダヤにおいて、家庭というのは神の言葉を教える所で、「父と母」は子供たちにとっては、神から与えられた教師であった。ユダヤ人は「父と母を敬うことを通して、神を敬うことを学ぶ」という考えを持っていた。だから、父と母を敬うということは、現代の私たちが考えている以上に大切なことであった。
現代は、「父と母を敬うことを通して、神を敬うことを学ぶ」という側面が軽んじられているのではないか。しかし、母親は、生まれて最初に出会う人間関係であるので、しっかり抱きしめて、愛情を注ぐなら、「母親が大事にしている信仰を、私も大事にしたい」という子供が育つのではないか。「父と母を敬う」ことによって、子供は愛を知り、幸せを得る。子供は、父と母を愛することを通して、神と他者への愛を学んでいく。
聖書は、両親を敬うばかりでなく、年老いた両親を世話することも命じている。「自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。」Ⅰテモテ5:8。神を敬っていれば、両親の世話をしなくてよいということではない。父と母というのは、自分の両親だけにとどまらず、広い意味では、周りにいる年長者をも含む。教会は神の家族である。地上では肉親はいなくなっている方も、教会には神の家族がいる。そういう意味では、教会の中には敬うべき方々が、世話をすべき方々が大勢いる。母の日をきっかけに、両親を敬い、年長者を敬う心を新たにし、家族の絆をよりいっそう深めていきたいものである。