近視のメガネを高校の一年生の冬からかけ、遠近両用のメガネをかけて約25年、メガネの不具合により新しいメガネを作るため、昨秋、近くに開業した眼科に行った。検査の結果、メガネが悪いのではなく、私自身の眼が老化による白内障(加齢性白内障)と診断された。目の中の水晶体が濁ることにより、視力が低下するのです。「目がかすむ」「まぶしくなる」などの症状はあまり感じず、ただ「メガネが合わなくなった」だけと思っていた。
眼科のお世話になるのは、40年ぶりの出来事である。1月18日右目、25日左目の手術を受けた。右目手術の翌日、ガーゼのパッチ(眼科)が取れてクリニックを出た瞬間、雪が降った翌日の青空が、木々の緑が、くっきりと鮮やかに目に飛び込んで来た。特に、青が真っ青に本来もっていた色彩が大声をあげて迫ってくるようであった。家並みや新幹線の建物がその存在を主張して見慣れた風景なのに、生々と目に飛び込んで来た。
この経験を通して、あなたの人生の焦点をどこに合わせているのか?と問いかけられているようでした。自分では、その都度メガネを変えながら、焦点を合わせていると思っていた。実は、その眼が老化して、ぼんやりとしか見えなかったと言うことです。
「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ。知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民、主に養われる羊の群れ。」詩編100:1-3。
この詩編の作者が歌ったように、“知れ、主こそ神である”との声は、私たちを造り、息を吹き込ん生きる者としてくれた神に、焦点を合わせているのかと問いかけられている。
クリスチャン人生は、何度も何度も、毎日毎日“主に立ち帰る”体験を繰り返しながら、年を重ねる生活であると知らされました。あくことなく、小さな歩みの全てを主にゆだねて、祈りを合わての一歩一歩でありたいと思いました。