災いの中にこそ、神の恵みがある

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2018年を表す漢字は、「災」であった。6月大阪府北部地震、7月西日本豪雨、災害酷暑、9月北海道胆振東部地震、台風21号、24号直撃、と全国各地で災害が相次ぎ、大きな被害をもたらした。上尾教会の牧師館も台風24号で屋根のトタンが飛ばされ、隣の家のガレージを破損させ、大変な迷惑をかけた。ただ人的な被害がなかったことは不幸中の幸いであった。災害は、起こらないにこしたことはないが、「災い転じて福となす」という諺があるように、厄介ごと一転して幸福の種に転じることもある。ご近所の方から、「大変でしたね。気になさらないでください。私たちも何かあった時は、建物が頑丈な教会に避難させて頂きたいと思います。」とか、「どうぞ、家の車庫が空いていますので、教会で使ってください。」と言われて、ご近所のありがたみをひしひしと感じている。2011年3月の東日本大震災以後、三井住宅では防災部が発足し、秋山純子さんが部員として当初から関わり、教会も会合に使用されてきたので、今回の被害で、慰めの言葉をかけて頂いたことは嬉しかった。

「災」は、自然災害に限らず、病気や交通事故などで辛い思いをし、入院や手術を余儀なくされた方もおられるだろう。しかし、その中で聖書の言葉に励まされ、信仰の恵みの豊かさを経験された方がおられるのではないか。パウロは、一つのとげ(病)が取り去られるように、一日中祈った。その結果、病が取り去られたかというとそうではなかった。病という災いの中で、神の恵みがどれほど大きいかを悟ったのである。「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」Ⅱコリント12:9。主の恵みに与ったからこそ、病は忌むべきものではなく、むしろ誇るもの、幸いなものになったのである。

私たちの人生には、「これさえなければ、どれほど幸せになれただろう」と思うことが

あるかもしれない。しかし、主を信じる時、災いと思えることがあったとしても、「私はそれでも幸せです」と告白できるのである。「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。・・いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方(主)のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」フィリピ4:11-13と、パウロが告白したように、いついかなる場合にも主の力により頼んで、「自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたい。」災いの中にこそ、神の恵みがある。