沖縄(命(ぬち)どぅ宝)の日

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6月23日は「沖縄(命どぅ宝)の日」である。以下の事を私たちの祈りとして捧げたい。

*沖縄を国外と位置づけ、沖縄の苦しみ・悲しみ・痛みに思いが至らなかったことを悔い改めます。 (連盟から戦後、調宣教師夫妻を「国外伝道」として沖縄に派遣した。)

*沖縄の歴史を学び、「二度と戦争を起こさない誓い」を新たにします。

*沖縄バプテスト連盟女性会・教会の交わりを深め、共に福音を担う活動を展開します。

*沖縄の組織的地上戦が終結した日と言われる6月23日は、死者を悼み非戦を誓います。

昨年お招きした神谷武宏先生は、「命こそ宝」の意味ついて下記のように語られた。

「命こそ宝」は、琉球の政治家「蔡温」(1682~1762)の影響がもっとも大きい。彼は政治家・三司官の一人で当時の河川工事や山林の保護などに大きく貢献した。その中でも琉球の政治的思想に大きな影響を与えた。彼が残した言葉に「何ものにも勝って命こそが大切である。他のすべてのものは失っても取り戻すことができるが、命だけは取り戻すことができない。何よりも命を大切にすべきである。」この言葉は、琉球の大事な思想の一つに上げられた。この思想の中には、戦争をするということは、まったく想定していない。

1853年にペリー米国艦隊が琉球国に上陸した時の絵がある。200人余りの海兵隊を率いて首里城を強行訪問。米軍側は銃剣を肩に掛け、サーベルを腰に差しているが、琉球側は何にも持っていない。琉球側に武装する、争いをする、戦争をするという行為はない。

1879年、日本国明治政府による「琉球処分」。この「処分」という言葉に日本の琉球に対する姿勢が如実に現れている。何を持って「処分」か。あくまでもヤマトの視点に立った言葉でしかない。日本は300名余の軍隊と160名余の警察官をもって琉球を制圧した。ここで琉球は、日本軍との大規模な軍事衝突は起きない。何故か?それは、琉球が軍備を保持していない国であったからである。この時、琉球国最後の王であった尚泰王が首里城を明け渡すのには大きな理由があった。祖国が滅びるにあたって、血を流して戦う若者がいた。わずかな武器を取り出して戦う若者がいた。これ以上、命を粗末にしてはいけないとしての行動であった。その歴史が背景となって後に琉歌「命こそ宝」が生まれる。

“戦(いく)さ世(ゆ)んしまち みるく世ややがてぃ嘆くなよ臣下(しんか) 命(ぬち)どぅ宝”

戦争の世は終った 平和で豊かな世がやって来る 嘆くなよ、おまえたち 命こそ宝。

琉球国が滅びる中で、国は滅びても人の命に勝るものはないという、琉球人の知恵、先人の教えがここにある。この琉球の歴史は、聖書の教えと重なるように思う。