毎週の礼拝こそ、子ども祝福式

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今日、「子ども祝福式」を迎えたが、この式は子どもが神の祝福にあずかるだけではなく、子どもを通して、両親も教会も祝福にあずかる時である。それは神の祝福にあずかった「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」ルカ2:40ことを一緒に経験し、将来、神と人に愛される立派な信仰者に育つ姿を見るからである。幼児期に植え付けられたものは、生涯の人格を決定づける。この大切な時期に、御言葉と祈りをもって子どもを育てることが求められている。そうすれば、子どもの人生に試練が押し寄せてきても、そこから逃れる術を見出すであろう。「若者を歩むべき道の始めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。」箴言22:6

『教会の約束』には、「神よりあずかった子どもたちを、神のみ旨にそうように教え育て」とある。これは決して親たちだけの誓約ではない。教会全体の誓約である。その意味で、教会の中で私たちは皆、子どもを託されている。「わたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」マルコ10:14と主は命じられ、子どもたちを御許に招き、祝福された。教会は、「神に礼拝を捧げる信仰の共同体」であり、子どもたちは神の家族のかけがえのない一員である。子どもたちも礼拝を通して、御言葉の恵みと祝福にあずかる権利を持っている。礼拝は、子どもにとっても神との出会いの場になり、信仰が育まれる場となる。

他の教会の方が私たちの教会に来て驚かれることは、子どもたちが礼拝の中で大人と同じように、いやそれ以上に、奉仕をしている姿である。賛美リーダー、献金の祈り、OHP係り、特別賛美、証、司会・・・。子どもたちは礼拝に招かれているだけではなく、奉仕の場が与えられている。子どもたちが奉仕することによって、信仰は大きく成長し、信仰の共同体の一員としての役割と立場を自覚するだろう。

子どもたちの礼拝出席を整えていくためは、日々の家庭礼拝が鍵となる。我が家も子どもが幼い頃から、「親子聖書日課」を用いて、家庭礼拝を捧げてきた。その甲斐があって、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」マタイ22:37との主の第一の掟を子どもたちの心に刻むことができたと思う。子どもの幸せを願うなら、まず神を愛し、そして隣人を愛することを教えなくてはならない。子どもと日頃から聖書に親しみ、一緒に礼拝を捧げることによって、信仰告白に導かれる日が来るだろう。毎週の礼拝こそ、子ども祝福式と言える。