母の日に想う

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室蘭にいた頃、母の日にはよく訪れた駅がある。それは「母恋駅」。そこで母の日の記念切符を買うのが楽しみであった。いつもより長い記念切符の表にはカーネーションが描かれ、裏にはサトウハチローの詩「この世の中で一番」が書かれていた。

この世の中で一番 美しい名前 それはおかあさん
この世の中で一番 やさしい心 それはおかあさん
おかあさん おかあさん 悲しく愉しく また悲しく
何度もくりかえす ああ おかあさん

お母さんっていいですね。こんなに慕われて。若い頃読んだ「きけわだつみの声」には、学徒動員し戦場へと出征する若者の辞世の手紙も、「お母さん、お母さん」と綴っていた。その点、父親は悲しい。父親が「元気でやっているか?」と聞いても、「うん」としか応えない子どもが、お母さんとなら、何時間も会話が弾むことが多い。

今、一番会いたい人は?と問われれば、幾つになっても、お母さんと答えるのではないか。星野富弘さんの詩に、「神様がたった一度だけ、この腕を動かしてくださるとしたら、母の肩をたたかせてもらおう、風に揺れるペンペン草の実を見ていたら、そんな日が本当に来るような気がした」とあった。この詩は、自分を無にして尽くしてくれた母への感謝の気持ちを描く。お母さんは富弘さんの看病を、ベッドと窓の間の一畳にも満たない狭い所で寝起きしながら何年も続けた。今まで自由に動かすことのできていた腕が急に全く動かなくなってしまい、その腕を神様が一度だけ動かしてくださるとしたら何をするか。その一度のチャンスを自分のことに使うのではなく、自分のことを真剣に看病してくれた母の肩を叩いて労をねぎらいたいと願うのである。

私たちは、何度でも母の肩を叩くことができるのではないか。母の肩を叩くとは、感謝と共に、母の思いを大切にするということでもある。私たちの人生は、親から、特に母親から大きな影響を受けている。親子を見ると、「そっくりだなぁ」と思うことがある。そう言われて嬉しくない面もあるが、感謝な面もある。私たちは多くのものを、世代を超えて受け取っている。テモテの「純真な信仰」Ⅱテモテ1:5も自ら獲得したものではない。祖母と母に宿ったものだった。母としての愛情と共に、神から与えられた信仰を子どもに遺していくことができたら、どれほど幸いであろうか。