欲望こそが争いの原因

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20世紀は、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経たので、「戦争の世紀」と言われた。その教訓を基に、21世紀は「平和な世紀」が訪れるのではないかと期待した。しかし、イラク戦争に始まり、今、ロシアがウクライナに侵略戦争を行い、多くの尊い命が失われていることに心が痛む。なぜ戦いや争いが止まないのか、何がその原因なのか。聖書は、「欲望」こそが戦いや争いの最大の原因だと指摘する。

「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。」ヤコブ4:1-2

「欲望」というのは、端的に言えば何かを自分のものとしたいことである。その欲望を満たすために、他者との間に戦いや争いが生まれる。戦いや争いをもってしても自分の欲望を果たそうとする暴力的な生き方がそこから生まれていく。領土も資源も財産も人の命さえ奪うのである。まさに、欲しても得られず、人を殺します。」

では、「欲望」を捨てることはできるのか。聖書は、欲望に打ち勝つ秘訣を語る。

「キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。」ガラテヤ5:24。主は、私たちの罪のために十字架につけられた。その十字架に私たちの欲望もつけられた。バプテスマを受けることによって、「キリスト・イエスのもの」とされた私たちは、罪に支配された古き自分を十字架につけた。古き私たちは既に十字架の上で死んだ。もちろん、時には自分の欲に引きずられることもあるが、しかし私たちは、少しずつ主に似た者へと造り変えられ続けていくのである。

『ハイデルベルク信仰問答書』の第1問は、こう問いかける。「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」その答えとして、「私が、私自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、私の真実な救い主イエス・キリストのものであることです。」とあった。主のものとされていることが、「あなたのただ一つの慰めである」と語る。主のものとされた人こそ、欲望から解放されて、本来の自分らしく生きることができる。それこそが、私たちにとっての、唯一最大の慰めではないか。主のものとされて、聖霊に従って歩む時、私たちは、だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。」Ⅰコリント10:24という御言葉を実践することができるだろう。