最上のわざ
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり 働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り 失望しそうな時に希望し
従順に、平静におのれの十字架をになう
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見つけてもねたまず
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも 親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後のみがきをかける
まことの故郷へ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを少しづつはずしていくのは、真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば それを謙遜に承諾するのだ。
神は最後に一番よい仕事を残してくださる。それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ」と。
上記は、ヘルマン・ホイヴェルス(カトリックの神父、上智大学元学長)が書いた『人生の秋に』に紹介されている「最上のわざ」という詩である。「老いの重荷」は「神の賜物」として与えられているという。さらに私たちには、神が最後まで残してくださった「祈り」という「最上のわざ」を捧げることができるという。この一言一言が心に沁みてくる。人生の最終段階において、たとえ何もできなくなったとしても、最後まで祈りを捧げることができるということは、何と感謝なことか。「病気で寝たっきりになっても、私にはやることがあって、これでも毎日忙しいですよ。」と、お見舞いに行った方から言われた。お聞きすると、毎日、御言葉を聴いた後に、信仰の友のために、教会のために、人々の救いのために、一時間は祈るとのこと。「美しく老いる」という言葉があるが、この方の生き方は、まさにそのように年を重ねる姿ではないか。「最後まで合掌できる」私たちも、このように年を取りたいものである。