暗闇を照らす光

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「闇」がこの社会を覆っているが、顕著に表れたのが座間市の事件ではないだろうか。9名の若者の尊い命が奪われた。残念なことは「死にたい」と言える場所がSNSしかなかったことである。仕事や人間関係、健康上の悩みで、「死にたい」と思うことは誰にでもあるのではないか。「自分には居場所がない、誰も自分を必要としていない、生きていることは迷惑になる。」という思いを持つことは誰にでもあるのではないか。だから、安心して「死にたい」と言える場所があることは、「誰かが自分を受け止めてくれる場所」があるということでもある。そんな場所に、教会がなれたらと願う。

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」イザヤ9:1。今から2700年前、北イスラエルは大国アッシリアに占領され、滅びの危機に陥った。民はどこにも光を見い出すことはできず、真っ暗闇の中で過ごさなければならなかった。そんな中で預言者イザヤは、「光が輝いた」と希望を語った。

その理由は、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、”驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君”と唱えられる。」イザヤ9:5。誕生する「男の子」について、”驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君”と呼んでいる。「驚くべき指導者」の英訳は「ワンダフル・カウンセラー」とあった。救い主イエス・キリストは私たちが悩み恐れる時、真のカウンセラーとなって助け、教え導き、人間の能力を遥かに凌ぐ奇蹟を起こす神であり、真の父親のように愛と厳しさを持って私たちを永遠に守り、人の心を柔和にさせ、平和を創り出してくださる方である。

そのような救い主の誕生を、イザヤは「暗闇を照らす光」として預言したのである。力のない弱い者たちが踏みにじられていく闇の時代に、このひとりのみどりごは「わたしたちのために生まれた」「わたしたちに与えられた」と語る。つまり、どんな時にも、「神は我々と共におられる(インマヌエル)」マタイ1:23ということである。

希望の光を与えるために、「罪と死」という深い闇の中にいる私たちのために、救い主はお生まれになった、それがクリスマスの出来事である。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」ルカ2:11。この知らせは、一部の人だけに与えられたのではない。「闇の中を歩む民」であるすべての人に与えられた。だから、この良き知らせを私たちの周りの人々に伝えたい。