『神の同労者』には、クリスチャンの信仰生活と時間について、「キリストによって救われた者の新しい生活、クリスチャンライフは、主と共に生きる生活であり、信仰と感謝の生活です。それは、神中心の生活、神を喜び、隣人に仕える生活でもあります。神が私たちに与えてくださっているもののうち、とくに時間は、すべての人に平等に与えられている神の賜物です。今のこの一瞬の時から、人の一生涯に至るまで、すべてが神の時です。ですから、与えられた時を生かして用いるために、私たちはまず「主日礼拝」や「祈祷会」を最優先にして神にささげ、隣人に奉仕することへと広げる生活設計を立てましょう。」とあります。
私は17歳でバプテスマを受け、45年以上教会から離れていましたが、2006年母の葬儀を秋山牧師にお願いし、導かれ、2007年転入会させて頂きました。主によって建てられた教会の一員として、私にできる奉仕は何かと考えました。継続できるか、時間的に習慣化できるか、重荷にならないか、体力的に大丈夫か?当時退職し年金生活になり、時間がありましたので、身体障がい者の施設で送迎のボランティアを週一回行い、現在はパートに週三回行っています。家内は障がい者ですが、当時は入院生活が終わり、穏やかな生活で家事全般ができていましたが、娘の結婚と愛犬の死により、医師によると、一般の人には考えられない喪失感により、被害妄想が再発し、現在家事で出来ることは、洗濯、ゴミ出し、食器洗いで、外出は私と共に行く病院以外、出来なくなりました。私は、日々買い物、食事作りが習慣になっています。娘から「お父さん、ボロボロになるから、お母さんと別れて」と言われましたが、私には1%もその気持ちはなく、介護を続けています。今でも投げ出す思いは全くなく、自分でも不思議に思いますが、主によって結ばれた者として、主は私にその思いを起こさない者としてくださっているのだと、確信しています。
教会の奉仕は、週一回の草取り、1~2時間、夏の暑い日、雨の日、又、雑草の成長期の春~秋、時間のやりくりが大変な時もありますが、ずっと継続、習慣化することが出来ています。教会員の高齢化により、教会への送迎が必要になりましたので、友愛チームが発足し、私もその一員として、主日礼拝、祈祷会の送迎だけでなく、病院への送迎もお手伝いし、喜んで継続、習慣化できていることは感謝です。
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」マタイ25:40