本日、会堂24周年を迎えた。会堂がいつの時代も立ち続けることを願うが、エルサレム神殿は3度も建て直されたので、何を目指して立ち続けるのか問い質したい。最初の神殿は、ソロモン王によって紀元前958年に起工し、7年半かかって完成した。しかし、紀元前586年、バビロニア軍によって南ユダ王国が滅亡し、神殿は破壊された。バビロン捕囚が終わり、民は帰還し、紀元前515年、神殿は再建された。その神殿は、ソロモンの建てた神殿とは比較にならないほど貧弱であった。しかし、預言者ハガイは神殿再建の希望を語る。「この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると万軍の主は言われる。この場所にわたしは平和を与える」と万軍の主は言われる。」ハガイ2:9。民が心を込めて献堂する礼拝堂に満ち溢れるものは、「神の平和」であった。
ヘロデ大王が紀元前20年頃から、神殿を拡大し、壮麗な神殿に建て直した。しかし、主はこの神殿が崩壊することを予告した。紀元70年、ローマ軍によって徹底的に神殿は破壊され、外壁だけが残された。「嘆きの壁」は、長きにわたり、人々が壁に手や額を当てて祈りを捧げ続けてきた。これまで無数の人々が神殿の破壊を悲しみ、幾多の苦難を経験する中で、嘆きの壁は、神に祈りを捧げるしるしとなった。
当時の神殿の構造を見ると、神殿の最も外側に「異邦人の庭」、その内側に「女性の庭」、「男性の庭」、「祭司の庭」、最も奥に「至聖所」があった。男性の庭には、ユダヤ人の男性しか入ることができず、異邦人も女性も病人や障がい者も入ることはできなかった。一般の信徒と祭司たちの間にも区別あり、聖所には祭司、至聖所には大祭司しか入れなかった。 当時の人々からするとその「区別」は先祖伝来の伝統であったのかもしれないが、現代の私たちの視点からすると、「差別」に他ならない。
神殿の崩壊を予告された主は、「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」ルカ21:6と言われた。主はここで、「新しい神殿」が建てられることを示唆された。その新しい神殿は、主ご自身と主の体としての教会と受け止められるが、この新しい神殿において、人の手で作られたあらゆる「壁」が打ち壊されていくのである。国と国とを隔てる壁、男性と女性を隔てる壁、いわゆる健常者と障がい者を隔てる壁、そして人間と神を隔てる壁が主の十字架によって取り除かれ、様々な違いを超えて、全ての人が共に祈ることができ、一人ひとりが、神の愛の中で、自分らしく生きていくことができるのである。