新しい命に生きる

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イースターの良き日に、バプテスマを受ける方が起されることほど嬉しいことはない。それはバプテスマが主の復活を象徴しているからである。

「わたしたちはバプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」ローマ6:4と、パウロは私たちが主の復活の命にあずかるためには、主を信じてバプテスマを受けることが大切であると語る。バプテスマには「浸す」と言う意味がある。それは古い自分に死んで、主の復活の命によって、新しい自分に復活することを表す。その古い自分が主と共に死ぬことによって、罪から解放され、主と共に新しい命に生きる者となる。この「新しい命に生きる」ためには、自分の決意や意気込み、努力によるものではなく、ただ主を信じるところから始まる。これが、救いであり、バプテスマである。

誰でも新しくなりたいと願って生きているのではないか。しかし、どうすればよいか分からず、悩んでいる人もおられるだろう。しかし、主が死から復活してくださったことにより、新しい歩みへの道が開かれるのである。自分の力で頑張ることを止めて、主を信じて、主に全てを委ねるなら、主の大きな愛によって生かされることを見い出すだろう。それが主が与えてくださる「新しい命に生きる」ことである。

バプテスマを受けるとは、罪の中を生きて来た古い自分と決別し、主と共に、新しい歩みを始める出発の時である。その出発の時を、誰もが迎えてほしいと主は願っておられる。古い自分を十字架につけ、主にある復活の命に生かされて行くなら、どれほど生きることが楽になるだろうか。パウロは、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。」ガラテヤ2:20と告白して、あらゆる苦難の中でも、共におられる主に希望と喜びと平安を見い出していった。

主が私たちの罪を赦すために、十字架で死なれ、3日目に復活してくださったが故に、私たちはもはや古い自分に戻ることはない。罪の重荷を負って生きる必要はなくなった。罪赦された者として軽やかに生きることができる。主を信じることによって、古い自分に別れを告げ、復活の主の命に生かされて、新しい人生の歩みへと踏み出したい。今日のイースターを、人生のイイスタート(・・・・・・)にしたいものである。