先週、奥田知志先生から「黙祷」とは何か、「助けて言えますか」という主題で、話を伺い、大変考えさせられる一週間であった。先生はNPO法人抱撲(旧北九州ホームレス支援機構)を設立され、3年前には、東八幡教会の前に「抱撲館北九州」という3階建ての建物を建設した。そのパンフレットには、以下のように記されていた。
”私たちは長年の活動で、「無縁」即ちホームレス状態が人間をどれだけ苦しめるのかを見てきました。だからこそ他者の縁による「絆(きずな)」は大きなテーマでした。「きずな」という言葉には「きず」が含まれています。人と人との繋がりは、時に傷つけ合い、煩わしく思うこともあります。しかし、その「きず」をも内包してこそ、「あなた」と「わたし」の関係は「絆」と呼べるものになるのではないでしょうか。抱撲館北九州は、「絆」を結ぶホームです。そして互いの違いを認め合い、赦し合い、助け合う、包摂型社会となることを目指します。
抱撲館北九州は、様々な困難を抱える方を受け入れます。又、地域に対しても「相談窓口」を開設します。困難を抱える方が、「その人らしく」生活を送ることができるように、多くの方のご協力をいただき、お一人お一人を様々な視点から支えていきたいと思います。困窮孤立状態にある方の課題は、「物質的(ハウスレス)」であり、又「関係性の困窮(ホームレス)」であると考えます。関係性の困窮は、施設内のみで解決できるものではありません。孤立している方を地域社会が支えられるように、さらなる連帯支援を展開できればと願います。その連帯の仕組みは「ホームレスを生まない社会」をも創造していきます。そのような社会の実現に向けて、力を合わせ、共に進んでいきたいのです。現在困窮孤立状態にある方への支援も含め、ご協力をよろしくお願いします。”
「近年の傾向として、10代、20代のホームレスも見かけるようになったが、それは外見ではわからない。家庭(ハウス)があっても、親には助けとは言えない。そんな事を言えば、お前は努力が足りないと一喝される。帰れるホームがない」と既に関係性の困窮は、子供の世界にも始まっていると言われたことが衝撃であった。子供の自死も年間5百名を超え、助けてと言えないまま、自らの命を絶つ。私たちの周りにも、気づかないだけで、「関係性の困窮(ホームレス)」状態にある人たちがいるのではないだろうか。主が「疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私の下に来なさい。休ませてあげよう」マタイ11:28と言われたように、教会こそ「助けてと言える」ところである。きずを負うことを恐れず、「君にも帰れるホームがここにはある」と言って、教会にお誘いしようではないか。