慰めの共同体としての教会

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台風19号は日本各地に大きな被害をもたらしたが、上尾も例外ではない。市境にある荒川が海のように氾濫し、河川敷近くにある建物が浸水している様子を目の当たりして、改めて自然災害の恐ろしさを感じた。三井住宅に住む方から、「何かあった時には、上尾教会に避難させてほしい。」という声を伺ったので、「どうぞ、そのような時は、教会をご利用ください。」とお伝えした。この地域の避難所は、大石小学校であるが、ご高齢の方はそこまで避難するもの大変なので、すぐ近くにある私たちの教会に避難したいとのことである。

また、「泉のほとり」で「キリスト教式葬儀」についてご紹介したところ、「教会でも私の葬儀をしていただけるのですか。」と尋ねられたので、「はい、教会はどなたでも利用していただけますが、ご自分の希望を、はっきりと家族の方と教会へ伝えておいてくださることが大切ですね。」とお伝えした。

この地に会堂が建って20年、地域の方々が私たちの教会を頼りにしてくださっていることは嬉しいことである。上尾教会のミッションステートメントにも、「私たちは、神からいただいた恵みを活かして、神と人とに仕えます。」と掲げた。神からいただいた恵みとは、この会堂であり、教会の交わりである。会堂は、礼拝を捧げるためだけにあるのではない。「地域に開かれた教会」として、地域の人々の求めに応えるためにある。それが今、地域の人々の様々な会合に使われていることからもわかる。又、教会の交わりは、福音を聴く交わりではなく、福音に生きる交わりである。

主の慰めにあずかった私たちは、その慰めを自分だけに留めていてはならない。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」Ⅱコリント1:4。悲しんでいる人、苦しんでいる人、困っている人に、私たちが慰めの手を差し伸べることができるのは、私たち自身が神から慰めをいただいているからである。

私たちの周りには、慰めを必要をしている人がたくさんいると思う。親子関係、夫婦関係、その他の様々な人間関係で行き詰っている人が、どこに慰めを求めたらよいのかわからずに、独りで悩み、苦しんでいる。主なる神はその人の傍らにいて深い慰めを与えてくださることを、祈りをもって伝えていきたい。教会は、「慰めの共同体」として、神と人々から、ますます期待されているのである。