愛によって互いに仕え合う

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昨年度の主題「主の愛に生きる」と聖句心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい。」ルカ10:27が本日をもって終わるのは寂しい気がするが、私たちの教会生活の指針でもあるので、これからも心にしっかりと留めていきたい。本日の宣教箇所にも、「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」ガラテヤ5:13とあるので、私たちが罪から自由にされたのは、愛によって互いに仕え合うという生き方をするためである。

ルターが『キリスト者の自由』の結論で、「キリスト者の自由は神の愛の内にあり、愛によって隣人に生きる自由である。」と語っているが、自由が神と隣人とを愛する愛と結びついていなければ、その自由は多くの場合、勝手気ままであったり、時に傲慢な自己主張となったり、他者をも自分をも生かすことがない死んだ自由となる。残念ながら、自己主張ばかりして、他者を悲しませているような現実を見ないだろか。

「愛によって互いに仕えなさい。」の愛は、「アガペー(神の愛)」である。そして次節の、「律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。」とは、自分自身が主の愛によって赦され愛されているように、隣人を主の愛をもって、赦し愛するようにということである。私たち自身にはそのような主の愛はないが、主に従うことを通して、神の愛が豊かに注がれるのである。太陽の光を受けて月はその光を反射するように、神は私たちを通して神の愛を表してくださる。そして、愛するというレッスンを繰り返す中で、愛することが以前よりも容易になってくる。それでも尚、私たちは失敗してしまう時があるかもしれない。しかし、愛によって働く信仰は、私たちのそんな弱さをや罪をも包み込んでしまうほどの力がある。

パウロは自分の罪深さを自覚していた。だからこそ、主の愛によって働く信仰の力を誰よりも理解していた。その力によって、隣人を愛し、教会を愛し、主にある兄弟姉妹を愛し、神を愛した。そして、多くの人々を主の救いへと導くことができた。 私たちは、主の愛によって働く信仰の働きを見たいと思う。そのために、自分自身がどれほど赦され、どれほど愛されているのか、主の愛を日々思い起こしたい。そして、主の愛によって働く信仰によって、隣人を愛し、兄弟姉妹を愛し、教会を愛し、神を愛していきたい。愛によって互いに仕え合う、それが最も自由な生き方である。

昨年度の主題「主の愛に生きる」と聖句心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい。」ルカ10:27が本日をもって終わるのは寂しい気がするが、私たちの教会生活の指針でもあるので、これからも心にしっかりと留めていきたい。本日の宣教箇所にも、「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」ガラテヤ5:13とあるので、私たちが罪から自由にされたのは、愛によって互いに仕え合うという生き方をするためである。

ルターが『キリスト者の自由』の結論で、「キリスト者の自由は神の愛の内にあり、愛によって隣人に生きる自由である。」と語っているが、自由が神と隣人とを愛する愛と結びついていなければ、その自由は多くの場合、勝手気ままであったり、時に傲慢な自己主張となったり、他者をも自分をも生かすことがない死んだ自由となる。残念ながら、自己主張ばかりして、他者を悲しませているような現実を見ないだろか。

「愛によって互いに仕えなさい。」の愛は、「アガペー(神の愛)」である。そして次節の、「律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。」とは、自分自身が主の愛によって赦され愛されているように、隣人を主の愛をもって、赦し愛するようにということである。私たち自身にはそのような主の愛はないが、主に従うことを通して、神の愛が豊かに注がれるのである。太陽の光を受けて月はその光を反射するように、神は私たちを通して神の愛を表してくださる。そして、愛するというレッスンを繰り返す中で、愛することが以前よりも容易になってくる。それでも尚、私たちは失敗してしまう時があるかもしれない。しかし、愛によって働く信仰は、私たちのそんな弱さをや罪をも包み込んでしまうほどの力がある。

パウロは自分の罪深さを自覚していた。だからこそ、主の愛によって働く信仰の力を誰よりも理解していた。その力によって、隣人を愛し、教会を愛し、主にある兄弟姉妹を愛し、神を愛した。そして、多くの人々を主の救いへと導くことができた。 私たちは、主の愛によって働く信仰の働きを見たいと思う。そのために、自分自身がどれほど赦され、どれほど愛されているのか、主の愛を日々思い起こしたい。そして、主の愛によって働く信仰によって、隣人を愛し、兄弟姉妹を愛し、教会を愛し、神を愛していきたい。愛によって互いに仕え合う、それが最も自由な生き方である。