早くも、主の降誕を祝うクリスマスが来月に近づいてきた。このコロナ危機においても、多くの方々と主の降誕を喜びたいと願い、準備を進めている。それは救い主の誕生が、不安や恐れを抱く現代人にもまことの平和と希望をもたらすからである。救い主がなぜお生まれになったのか、それは主の宣教の第一声によく示されている。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」マルコ1:15と、主は第一声で言われた。①「時は満ちた」②「神の国は近づいた」③「悔い改めなさい」④「福音を信じなさい」―ごく短い文章だが、その一つ一つの中に、主の宣教が凝縮されている。
まず、「時は満ちた」とは、どんな時のことか。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」Ⅱコリント6:2とあるように、神の恵み、救いの時のことである。神がイエスをこの世に遣わしたことによって、神が永遠の初めから計画しておられた救いの時が満ちた。それは旧約の預言の成就であり、罪と悪の支配の終わりの時でもある。この時から、新しい時代、新しい世界が始まった。西暦2020年は主の誕生を紀元としている。
次は、「神の国は近づいた」神の国とは、神が支配しておられる王国のことで、そこでは神の御心が完全に行われ、神の恵みと愛、神の義と救いに満たされる。「近づいた」とは、一方で、神の国はもうすでに来ている、主の十字架と復活の御業によって、神の新しい支配がすでに始まり、罪と死の力は滅ぼされたと、解釈できる。他方で、神の国は未来に待ち望むべきものであり、主が再臨される時に完成されるのである、それまでは悪しき世にあって、多くの試練と戦わなければならず、信仰もまだ未完成であり、常にみ国を来たらせたまえと祈り続けなければならないと、解釈できる。
「悔い改めなさい」とは、生き方全体を変えることを意味する。単に、一つや二つのことを悔いて、行動を改めることではなくて、生き方全体を180度向きを変えることである。具体的に言えば、これまでは神に背を向けていたが、神の方に向きを変えて、神の方向へと進んでいくことである。放蕩息子のように、神に立ち帰ることである。
最後に、「福音を信じなさい」福音とは、主の十字架と復活という、喜びのおとずれのことである。この福音を信じることによって、私たちは神に背いてきた罪人であるにも関わらず、罪から救い出され、永遠の命にあずかることができる。この神の救いに感謝し、「主イエスは私の救い主」と信じて受け入れるだけで、一方的な神の恵みによって救われるのである。その愛の深さに気づくクリスマスを迎えたいものである。