心を一つにして祈る

Home / 週報巻頭言 / 心を一つにして祈る

はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」マタイ18:19-20

この御言葉を、毎週の祈祷会で、毎月の上尾朝祷会やアシュラムで味わうことができる。集会の最後は、必ず、二人一組になって祈るが、その祈りが叶えられることを経験する。アシュラムで同じファミリーになった方から、「上尾教会の牧師館が与えられるように祈っていますが、どうなりましたか。」というお便りを頂いたので、「お陰様で、最高の場所に与えられました。」と返事をすることができた。離れた所でも、願いが叶えられるように心を一つにして祈ってくださるとは、感謝なことである。

「どんな願い事であれ」と言われても、人間的には無理だと思われることがある。家族の救い、病の癒し、人間関係の回復…、とても一人で祈り続けることは困難なことばかりである。しかし主は、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるならと言われた。どれほど言い難いことでも、心から打ち明けて、二人で父なる神に向かって心を一つにして祈るなら、「わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」と、主はハッキリと約束してくださった。それは、祈る通りの解決や結末ではないかも知れない。しかし父なる神は、私たちの願ったことを何らかの形で「かなえてくださる。」

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」と主が言われた「その中にいる」とは、主が共にいて、私たちの思いを受け止めてくださる。私たちには他人には知られたくない、一人でしか祈れないこともあるだろう。しかしそれとは逆に、皆に祈ってもらいたいこともある。皆の思いと力を結集しなければ実現できないこともある。例えば、子どもたちの健やかな成長やその子どもたちが生きる世界の平和は、皆で祈り、その実現を求めるべきことである。

バウンズ博士は、「説教がなくてもリバイバルの起きたことはありますが、祈りなくしてリバイバルの起きたことはありません。」と、祈りは、神の御手を動かす最大の奉仕であると語っている。預言者サムエルは、「わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない。」サムエル記上12:23と、祈らないことは罪であるとさえ語っている。神は、私たちの祈りを待っておられる。私たちの祈りを通して、御業を進めようとしておられる。心を一つにして祈り合おうではないか。