心を一つにして祈り合おう!

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6月より、祈祷会も再開され、熱心に祈りが捧げられている。祈りは「神との対話である」と言われるように、御言葉を聴き、祈りの課題に添って祈り合う。ただ、密にならないように、組祈祷は避けて、一斉に各自で祈り、最後に「主の祈り」で閉じる。祈祷会は、教会にとって、礼拝と並ぶほど大切なものである。それは船の機関室のようなものである。機関室は、奥まった小さな部屋にあるが、それによって船が動かされるように、教会の働きも祈祷会によって動かされる。祈祷会の盛んな教会は、生き生きとした働きを生み出すが、祈祷会の衰えた教会は、教会の働きも衰退していく。

祈りは力である。神が私たちの祈りを聞いてくださり、その祈りに対して神が働いてくださる。私たちは、祈ることによって、力を与えられる。祈りこそ力の源であることに気づく。そして祈祷会の必要性を感じる。祈祷会に参加したくてもできない方から、「自分も含めて祈祷会に参加できない人が大勢いるけれども、教会がそういう人々を覚えて祈りを捧げてくれていることが、それぞれの場で生活している一人一人を支え励ます大きな力となっています。」という声を聞いた。執り成しの祈りを必要としている人々が沢山いる。教会は、その場にいない人のためにも祈る使命が与えられている。

パウロも、「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、“霊”が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。」ローマ15:30と言った。私たちは、お互いのために祈り合うことである。それだけではなく、自分のことも祈ってもらうことである。聖書協会共同訳では、「どうか、私のために神に祈り、私と一緒に戦ってください。」とあった。「私と一緒に戦ってください。」とは、祈りが戦いであることを示す。ヤコブが神の使いと組み打ちした場面(創世記32章)では、ヤコブが神の使いと戦ったのは、祈りであったと言われる。ヤコブは、「祝福してくださるまでは離しません。」と言って、神の使いから離れることをしなかったので、神の祝福にあずかった。私たちも神にしがみついて祈っていきたい。

祈祷会に参加することによって、教会や教会に集う方々の様々の課題を知り、そのために心を合わせ祈ることができる。祈り合うことによって、周りの人や世界のために執り成し、教会でなくてはできない大切な使命を果たしていくことができる。御言葉によって主の御心を知り、祈り合っていく時、その祈りは必ず叶えられるだろう。祈り合うことは沢山ある。祈祷会に参加して、心を一つにして祈り合おうではないか。