心を一つにして祈り合う        秋山 信夫

Home / 週報巻頭言 / 心を一つにして祈り合う        秋山 信夫

先週、祈祷会に出席された方が、「上尾教会は、初代教会のようですね。」と言われたので、「どうしてそう思われますか」と尋ねたところ、「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」使徒言行録2:42の言葉が、今の上尾教会に当てはまると言われた。その指摘は当たっていると思った。最近、祈祷会出席者が増え、先週も25名、教会員の半数近くが出席して、熱心に祈りが捧げられた。

祈祷会では、賛美を捧げた後、「静聴の時」をその日の「聖書日課」の箇所から持っている。そして、各自御言葉から示されたことを分かち合うが、自分では気づかないこともたくさん示され、御言葉が味わい深い霊の糧となっている。私もその後に奨励をするが、むしろ、各自が分かち合ってくださった内容で十分だと思うこともある。

その後、祈りの課題を出し合う。「家族が救われるように」「求道中の方が救われるように」「牧師館が与えられるように」「教会財政が満たされるように」「開拓伝道の幻が与えれるように」「信仰の継承がなされ、クリスチャンホームが与えられるように」「健康が祝されるように」「教会にたくさんの子供が来ますように」「牧師の働きが支えられるように」「神のみ心に適った政治が行われるように」「平和憲法が守られるように」「辺野古の工事が差し止められるように」・・多岐にわたる祈りの課題を、二人一組になって祈り合う。

新生讃美歌430番に『静けき祈りの時はいと楽し』とあるが、祈祷会はそのことを体験できる時である。一人ではなかなか祈れなくても、兄弟姉妹の祈りに励まされて、祈る力が与えられる。また、祈り合ったことが聴かれた喜びを分かち合うことができる。「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」マタイ18:19

大切なことは「心を一つにして祈る」ということである。これは「シンフォニー(交響曲)」の語源になった言葉で、「一緒に音楽を奏でる」という意味である。一人一人がばらばらに音を出していても、それは音楽にはならない。互いの音を聞きながら、指揮者に従って、初めて音楽は生まれてくる。私たちにとって指揮者とは、イエス・キリストである。御言葉によって主の御心を知り、その御言葉に基づいて、心を合わせて祈り合っていく時、その祈りは必ずかなえられるだろう。祈ることはたくさんある。どうか祈祷会に積極的に参加して、「心を一つにして祈り合おう」ではないか。