弱さをも賜物               教会員

Home / 週報巻頭言 / 弱さをも賜物               教会員

「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」Ⅱコリント12:9。これは先週の巻頭言の最後に書かれていたみ言葉です。「賜物」と聞くと、どうしても特技や優れているところを思い浮かべてしまいますが、今回は、このみ言葉のバトンを受け継ぎ、弱さをも賜物として神様から与えられているということに注目してみたいと思います。

私は、なかなか酷い閉鎖恐怖症です。20代前半まではなんでもなかったのですが、社会人になり、朝の満員電車で具合が悪くなってから、年々症状は重くなっていきました。特に、電車が苦手で、上尾から大宮に行くだけなのに何度も電車を見送ったり、途中の宮原駅で降りたりと少しのお出かけでも大きなストレスを感じるようになりました。仕事でどうしても都内に行かないといけないときは、早朝の空いている時間帯に、絶対に座れるグリーン車で行っています。車での移動も、高速道路の渋滞にはまってパニック気味になってからは、極力遠出はしない、行くときは空いている時だけということにしています。乗り物だけではなく、人口密度の高い場所にいるのも抵抗感があるので、コロナ前の生活に戻りたいとは思いつつも、ソーシャルディスタンスは私にとってはありがたい一面もあります。

こういったメンタルの症状は、外見からでは分からないうえ、周囲の理解が得難いことがあります。そんなのただの思いこみでしょ?と言われてしまえば、その通りですし、薬があるわけでもないので、ただ、状況にどんどん慣れる訓練をして克服するしかありません。一時期よりはだいぶ良くなりましたが、それでも自由に移動している人たちを見るととても羨ましくなります。電車に乗るときには讃美歌を聴くとよい。と夫からアドバイスを受け、ホームで待っている間はyoutubeで好きな讃美歌を聴いて心を落ち着かせています。

いつか、どこにでも心配せずに出かけられるようになりたいです。しかし、この弱さがあるおかげで、神様により頼むことをずっと忘れずにいられるようになりました。また、同じようになにかに「恐怖心」を持っている人の気持ちを理解することができるようになりました。それは親としても、社会人としても、とても大切な気付きだったと思います。「できない」ことも神様が与えてくださっている賜物であると信じて、感謝したいと思います。