平和月間に思う          教会員

Home / 週報巻頭言 / 平和月間に思う          教会員

八月は平和月間である。普段、深く考えることの少ない平和について思い巡らしたい。今年は特にロシアのウクライナ侵攻によって、戦争の悲惨さを改めて知ることになった。なぜ戦争や争いが起きるのか?話し合いや外交努力によって解決できないのか?いつも疑問に思う。

4月から東京バプテスト神学校の公開講座、山口里子さんの「虹は私たちの間に」を受講している。虹は平和の象徴である。イエス・キリストが生きた時代、その社会はどんなものだったのか、「イエス運動」がどのように誕生していったのか、めざすものは何だったのか、いろいろ考え思い巡らす機会を与えられている。

当時はロ-マ帝国が広大な領土を所有し皇帝の権力も絶対であった。帝国の支配下にあるユダヤでイエスは誕生した。皇帝を頂点とするピラミッド型の家父長制度の下では支配層は一部の男性エリ-ト達だった。女性を含む一般庶民は差別、抑圧に苦しんでいた。また、奴隷制度も存在していた。「イエス運動」といわれる最初期のキリスト教共同体(エクレシア)は民族、身分、性別の違いに関わらず、誰でも共同体に参加し、発言権を持つというラジカルな平等主義を実践する集まりだったという。それ故に差別や抑圧に痛みや憤りを感じ、また、そのような状況に抵抗して生きようとする人々にとって共同体は大きな支え、励ましだった。「イエス運動」は小さな集まりからキリスト教に発展し、帝国の国教となっていく。(ただし、内容はかなり変えられていく)

イエス・キリストによって示された神様の愛は、抑圧された人たちと共に歩み、共感し、共に苦しみ、あらゆる人々(女性や性的少数者を含む)を受け入れるものだった。イエスにおいては差別も偏見もない。現代の私たちは、この最初期のキリストが示された神様の愛から、遠く離れてしまったように思う。もう一度キリストの愛を心に深く受け止めたい。最初期のエクレシアには多くの女弟子がいた。男性編集者が聖書を編集する過程で、いつのまにか変えられていったらしい。マグダラのマリアは優れた女弟子であったにも関わらず、悔い改めた売春婦にされている。

神様の愛の広さ、高さ、深さを思い、ささやかであってもキリストに倣う生き方をしていきたい。それが平和を実現する道であると思う。

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」ガラテヤ3:28