平和をつくる人に       教会員

Home / 週報巻頭言 / 平和をつくる人に       教会員

ある女性が「世界平和のために私は何をしたらよいでしょうか?」とマザーテレサに尋ねました。答えは、「家に帰ってあなたの家族にやさしくしてあげなさい。」だったそうです。一人一人が最も身近なところから平和の種まきをしなければならないのです。

看護師として、患者さんの不機嫌やわがままに腹を立てずやさしく接することはそう難しくありません。でも夫の不機嫌やわがままに寛容でいることは心底難しい!

この違いは何だろうと考えました。患者さんに腹が立たないのは、「無理もない」と思えるからです。体と心に苦痛があったら不機嫌もわがままも無理ないと思えます。でも自分の家族には、その態度間違ってる!と私は判断しているのです。そんな時、私に語りかけるかすかな声があります。イエス様が言われた、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」ヨハネ15:12という言葉です。「隣人を自分のように愛しなさい。」マルコ12:31という律法のさらに上の要求です!でもこれこそが、「平和」を実現する秘訣なのでしょう。

イエス様は、父なる神が見ているすべてを共に見ていたので、取るべきでない態度の裏にある「無理もない理由」が、見えていたのだと思います。ですから、ご自身を十字架にかけた人間のことを、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」ルカ23:34と、祈ることができたのでしょう。

ビリー・グラハムは著書『幸福の秘訣』で、「私たちが神との平和を持つまで地球上に真の平和はやってこない。」と言っています。「実に、キリストは私たちの平和であります。」エフェソ2:14。イエス様は平和を愛した方ではなく、神であるその地位と命を捨てて、神と人との間に平和を創った方です。もう二千年も前に平和は創られていたのに、世界で、地域で、家庭で、未だ争いが絶えないのはなぜでしょう?小説『神の小屋』の中で、聖霊は主人公マックにこう言います。「数えきれないほどの人間がそれぞれ善と悪を決める。だからあなたの善悪の基準が隣人のそれと対立する場合には口論や争いが起こり、時にはそれが戦争にまで発展する。」

神様が見ているように物事を見せてください、と祈ります。それができるようにと、イエス様は十字架にかかってくださったのです。そして私たちのその言葉、その行動は、平和をつくりだす?といつも問うて、聖霊が示す方を選び取りましょうね。「平和を願って、これを追い求めよ。」1ペトロ3:11